全体的なイメージで三屋清左衛門残日録を海坂藩作品としましたが、実態としては海坂藩が明示されません。海坂藩の雑感1・2でも述べていますが、ではなぜ海坂藩が舞台でないのか。以前からず〜と気になっています。個人的に勝手なことを言えば、『風の果て』、『三屋清左衛門残日録』は完璧な海坂藩作品であってほしいところです。しかしこの2作品は海坂藩、五間川が全く登場しません。(イメージとしては海坂藩的ですが・・)何故なのか。
そこで、あらためて武家物の内・長編作品(歴史小説等は除く)を調べてみましたら、下表の通り9作品ありました。(暗殺の年輪は短編作品の範疇かもしれませんが・・)
作 品 名 | 舞 台 | 発 表 年 ・ 書 籍 |
暗殺の年輪 | 海坂藩 | 73年 オール讀物 |
出会い茶屋(霧の果て) | 江戸 | 75年〜80年 小説推理 |
用心棒日月抄シリーズ | 江戸・(海坂藩は国元) | 76年〜89年 小説新潮(超断続連載) |
闇の傀儡師 | 江戸 | 78年〜79年 週刊文春 |
よろずや平四郎活人剣 | 江戸 | 80年〜82年 オール讀物 |
風の果て | 不明 | 83年〜84年 週刊朝日 |
三屋清左衛門残日録 | 不明 | 85年〜89年 別冊文藝春秋 |
蝉しぐれ | 海坂藩 | 86年〜87年 山形新聞 |
秘太刀馬の骨 | 海坂藩 | 90年〜92年 オール讀物 |
海坂藩作品の代表例は、隠し剣シリーズ(76年〜80年)ですが短編小説群であり、その他の作品、山桜、報復、花のあと、たそがれ清兵衛、その他等もすべて短編です。海坂藩の雑感1でも書きましたが、純粋な中・長編の海坂藩作品は意外に少なく、3作品(用心棒シリーズを加えると4作品)でした。直木賞受賞作『暗殺の年輪』以降、長編作品は蝉しぐれまでは一編の作品もありません。
結局、海坂藩を舞台にした作品は、基本的に短編作品の舞台であると言えます。藤沢周平といえば『海坂藩』が定番といわれていますが、それは主として短編作品を中心とした世界であると言えそうです。結論から言えば、『風の果て』、『三屋清左衛門残日録』が海坂藩作品でない理由は正確には判りません。強いて言えば長編作品であるから・・でしょうか。
しかし『風の果て』に関しては何となく理解できるような気もします。海坂藩は何故か、いつも二派に分かれ騒動を起こしている藩であり(笑)長期に亘る藩の変化には言及しない一時的な話が中心である。一方、本作品は三十数年に亘る物語で、太蔵ヶ原という広大な原野を切り開き、数千町歩の新田の開墾に成功、藩の石高も大きく増える成功物語である。その上元号も明記された作品である。元号もはっきりし、藩の石高が増えるというような物語は、どう考えても海坂藩としては馴染まないのではないか。海坂藩のイメージを変えてしまう畏れがある。
更に言及すれば、庄内藩には『天保堰』という水路開拓の事実が存在すると言う。年代は天保時代(1837年完成)のようであり、『風の果て』はその時代より数十年早い時代に設定がされているが、題材となったことは間違いないように思えます。著者は、当時この工事に関係した方々の子孫・末裔が、庄内に居られた場合を考えて迷惑にならないよう・・・そんな推測をしてみました。そんな意味からも、安易に『天保堰』と『風の果て』を結びつけることは・・・。
一方『三屋清左衛門残日録』はどう考えても海坂藩がピッタリ当てはまる作品だと思うのですが・・・城山三郎氏との対談などを読んでも判りませんでした。
そんなことを思いつつも、長編物には海坂藩作品はなかったのだと、なんとなく納得はしたのですが、その一方で『暗殺の年輪』から13年ぶりに長編作品2作目の海坂藩を舞台にした作品を書かれた訳はいったい何なのか。それが『風の果て』、『三屋清左衛門残日録』ではなく、『蝉しぐれ』としたのはなぜか。勝手に推測してみました。(タイトルと異なってしまいますが・・)
色々考えたり調べたりしましたが判りませんでした(当たり前ですが・・)いくつかの書き物を読み漁っていて、1985年2月7日俳句の〔海坂〕の主宰者、相生垣瓜人氏が亡くなられていることが目に留まりました。
このとき藤沢さんは『稀有の俳句世界』(小説の周辺)で〔略・・・瓜人先生との縁はうすいながらかりそめのものではなかった・・・後略〕と書かれています。藤沢さんにとっては、忘れることの出来ない思い出とともに、それなりの悲しみや想いがあったのであろうと推測されます。
そんな思いから、久しぶりに(又は初めて)海坂藩長編作品の執筆を思い立ったのではないかと、勝手に考えてみました。1985年といえば『三屋清左衛門残日録』が別冊文藝春秋172号から連載が始まっています。作品にはそれなりの構想期間が必要でしょうから、翌1986年7月9日から山形新聞・他に連載された『蝉しぐれ』を、海坂藩を舞台にした作品として、多くの思いを込めて書かれたのではないか。そんな気がしています。(全くの推測です)
その後『秘太刀馬の骨』で、再び(そして長編としては最後)海坂藩を登場させていますが、たーさんが思うに本作品は当初海坂藩作品ではなかった、と推測しています。
この作品で五間川が登場するのは、話も中盤にさしかかった第三章目『下僕の死』の最後に初めて現れます。それまで川はいくたびか登場していますが、唯単に『川』で書かれています。そして第四章目『拳割り』からは頻繁に現れます。そしてその表現は、あたかも『蝉しぐれ』の五間川そのものを再現するがごときものとなってゆきます。この辺りの変化は何なのでしょうか?。出版関係やファンからの期待があり、それに応えたのかもしれません???。
更に本作品には多くの謎があるような気がしています。この作品は『馬の骨』の継承者が発表時と単行本では異なるそうです。これに関しては別のページを作成しました。又『風の果て』に関しても元号等に関して別のページを作成しました。
引き続き 海坂藩作品の源流