海坂藩と言えば『五間川』ですが、海坂藩も明示されず、五間川も出てこない作品に関しても、独断と偏見で海坂藩作品とみなした作品を含め、作品全体を分析してみますと、面白いことが解ります。(勿論、勝手な解釈です・・精度90%)
意外に少ない海坂藩作品
藤沢周平作品の、下級武士物と言えば、海坂藩に相場が決まっている印象ですが、
『海坂藩』と明示されている作品は、思いの他少ない事が意外でした。
隠し剣孤影抄で登場する4作品
を含め、全部で12作品でした。但、海坂藩と明示されているが主たる舞台は海坂藩ではない作品が
別に3作品有りますので合わせて15作品となります。
海坂藩とは明示されていないが、かの有名な
『五間川』のみで海坂藩を表現している作品 はかなり有るであろうと想像していましたが、これも又期待に反して、意外に少ない事が解りました。
隠し剣孤影抄(4作品) 隠し剣秋風抄(6作品)の
合計10作品で、その他では、僅か
12作品(
このうち1作品は舞台が江戸)、合わせて22作品
しか有りません。結論として、全体で37作品で、明らかに海坂藩が舞台となっていると思われる作品は
合計33
(差の4作品は下表参照)であり、その内隠し剣シリーズで14作品でした。
これらを以下に表として整理しましたが、 『海坂藩』と明示されている作品の発表年度に注目しますと、73年から77年迄に10作品が集中しています。それ以降は、名作『蝉しぐれ』と、晩年の作品『岡安家の犬』のみです。又、『隠し剣孤影抄』は、海坂藩を明示した作品と、五間川作品が混在していますが、78年〜80年の『隠し剣秋風抄』では、全て五間川表現になり、77年以降、ほぼ10年間、全ての作品に海坂藩名が登場しなくなります。
隠し剣シリーズ以降、五間川のみの表現によって5作品程しか書いておらず激減します。そして10年振りに『蝉しぐれ』で海坂藩作品が発表され、終盤の作品は再び海坂藩作品が多くなります。
海坂藩と明示されている作品
発表年 | 作品名 | 単行本書籍名 | コメント |
73 | 暗殺の年輪 | 暗殺の年輪 | |
74 | 相模守は無害 | 闇の梯子 | 何故か奥州海坂 |
74 | 証拠人 | 冤罪 | 主舞台は海坂藩以外 |
74 | 唆す | 冤罪 | 主舞台は海坂藩以外 |
74 | 潮田伝五郎置文 | 冤罪 | |
76 | 竹光始末 | 竹光始末 | |
76 | 遠方より来る | 竹光始末 | |
76 | 小川の辺 | 闇の穴 | |
76 | 臆病剣松風 | 隠し剣孤影抄 | |
77 | 暗殺剣虎ノ眼 | 隠し剣孤影抄 | |
77 | 必死剣鳥刺し | 隠し剣孤影抄 | |
77 | 隠し剣鬼ノ爪 | 隠し剣孤影抄 | |
86 | 蝉しぐれ | 蝉しぐれ | 10年振り以降の作品 |
93 | 岡安家の犬 | 静かな木 | |
96 | 偉丈夫 | 静かな木 | 主舞台は海坂藩の支藩 |
五間川で表現されている作品
発表年 | 作品名 | 単行本書籍名 | コメント |
76 | 邪剣竜尾返し | 隠し剣孤影抄 | |
76 | 木綿触れ | 闇の穴 | |
76 | 用心棒日月抄シリーズ | 用心棒日月抄、他 | 主舞台は江戸、孤剣の冒頭および 凶刃の終盤で五間川が登場。 |
77 | 女人剣さざ波 | 隠し剣孤影抄 | |
77 | 小鶴 | 神隠し | |
78 | 悲運剣芦刈り | 隠し剣孤影抄 | |
78 | 宿命剣鬼走り | 隠し剣孤影抄 | |
78 | 女難剣雷切り | 隠し剣秋風抄 | |
79 | 陽狂剣かげろう | 隠し剣秋風抄 | |
79 | 好色剣流水 | 隠し剣秋風抄 | |
79 | 暗黒剣千鳥 | 隠し剣秋風抄 | |
80 | 孤立剣残月 | 隠し剣秋風抄 | |
80 | 盲目剣谺返し | 隠し剣秋風抄 | |
79 | 泣く母(頬をつたう涙) | 霜の朝 | |
80 | 山桜 | 時雨みち | 隠し剣以降の作品 |
81 | 報復 | 霜の朝 | |
83 | 切腹 | 龍を見た男 | |
83 | 花のあと | 花のあと | |
83 | たそがれ清兵衛 | たそがれ清兵衛 | |
90 | 鷦鷯 | 玄鳥 | 10年振り以降の作品 |
90 | 秘太刀馬の骨 | 秘太刀馬の骨 | 下僕の死の章から五間川が登場 全編を通して庄内弁である。 |
94 | 静かな木 | 静かな木 |
海坂藩が明示されない理由は?
海坂藩又は五間川が登場しなくなる。この様な変遷は、海坂藩と言う藩名に対する考えが何らかの理由で変化してきたのでしょうか?。多少意味合いは異なりますが『ふるさとへ廻る六部』の「面白い舞台を期待」で書かれている「原作の舞台は北国の某藩ということになるけれども、私の頭の中にあるのは、むかし私の故郷一帯を支配した山形県の庄内藩である。」を拡大解釈すれば、北国の小(某)藩=海坂藩=庄内・鶴岡と言う図式が成り立ち、拘る必要は無いのかもしれません。
しかし上記の記述は『三の丸広場下城どき』(麦屋町昼下がり)に関する文章であり、下級武士作品全体に関して言及した文章ではなく、それに相当するエッセーを探しましたが見当たりませんでした。
五間川=海坂藩ということはファンに認知されたと判断して、海坂藩名を省略したのではないかと想像できますが、それ以外の作品は、或いは今までの印象から離れて、下級武士の活躍、苦悩する場所を庄内に限定せず、それぞれの読者の心の中に存在する場所であっても・・・と言う方向に変化されたのでしょうか?。一方で「黒金藩」「黒江藩」「栗野藩」という別の藩名を使っている作品は、海坂藩としない何か意味があるのでしょうか。
一方、海坂藩作品が隠し剣シリーズに14も登場し、全体の 42%を占めている事も意外でした。本作品シリーズは、決闘場面の描写が特に素晴らしい作品として定評のある作品ですが、海坂藩作品の半数近くが本作品シリーズと言うことは、どのような思いを持っておられたのか気になるところです。結論的に言えば、海坂藩作品の殆んどが1980年までに書かれていることことになります。
そんなことをあれこれ巡らすと、△印で勝手に海坂藩作品(約50作品)と決め付けてしまいましたが、本当は違うのではないか(海坂藩作品ではない)と、そんなことも考えてしまいます。しかし、下級武士作品=海坂藩=庄内・鶴岡の図式を著者は想定していた、と考えるのが一般的であろうとは思っています。それにしても何故、海坂藩又は五間川を登場させない作品が約50もあるのでしょうか・・・不思議です。