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『秘太刀馬の骨』の謎・不思議

 オール讀物1990年12月号(平成2年)から1992年10月号(平成4年)迄約2年間に亘って断続連載(7回)された本作品にはいくつかの謎・不思議があるように思えます。

海坂藩の雑感3でも少し触れていますが、当初単なる川であったものが、途中から五間川を登場させ、明らかに海坂藩作品と明示されるように変化しています。途中からなにか心境の変化でもあったのでしょうか。但し、本作品は全編を通して『庄内弁』で書かれており、当初から東北の小藩を意識されていたことは明白です。

 次に、最終章の最後の最後に書かれている『浅沼半十郎の妻女』の市中での『牛若丸のような身のこなしで・・』が何を意味するのか、どう理解すべきか、ファンの間で喧々諤々の議論があるようですがこれも不思議の一つです。(作品に潤いが出ている文章で、そうは思わないファンも多いようですが・・・)

 更に不可解なのは『馬の骨』とは一体何なのか、と言う疑問です。作品の冒頭を素直に読むと秘太刀馬の骨とは『刀なのか剣法(剣技)』なのか、どちらとも解釈できるように書かれている。石橋銀次郎が矢野道場の門弟と試合をするようになって、剣法の継承者を探すようにはなってくるが・・・。
少なくとも『馬の骨』を見た人は誰もいないのである。(沖風のシーンは見た人が大勢いるが、居合いであり馬の骨とは異なると半十郎は言う)誰も実態を知らないのに、門弟は暗黙のうちに剣法だと勝手に解釈しているようにも思える。

 その上で最も奇妙なことは、本作品の最も重要な『馬の骨の継承者』が、オール讀物掲載内容と単行本では大きく異なっている事です。しかも連載終了後直ちに(1992年12月15日発行)単行本が出版(これも異常に早い)されており、僅かの期間しかありません。一定の期間がある場合、修正・加筆する事はままあることのようですが(作家の一般論)この僅かな期間に、どうしても修正・加筆させた訳は一体なんだったのでしょうか。しかも最も重要な継承者の人物名を・・・。

 このように幾つかの謎・不思議がありますが、本作品の最大の謎は『馬の骨の継承者』問題でしょう。この話題は大きく二つに分かれているようです。一つは『オール讀物と単行本(文庫も)で継承者が異なる』という話題です。推理小説としての本作品の最も重要な犯人??が違うというのですから。もう一つは、単行本(文庫も)の世界だけでも『継承者の異説』がファンの間で話題になっていることです。作者がはっきりと明示しているのにです。以下この点に関して整理をしてみます。(偉そうにすみません。) m(_ _;)m 

異なる継承者

 発売当時、確実に読んだ記憶はあるのですが(藤沢周平特集が本号に掲載されており、当時かなりのインパクトを受けた記憶があります)雑誌のため廃棄してしまい手元にありませんでした。単行本を読んだとき、あれ???と思ったようなことを感じたのかもしれませんが、まさかそんな事はないだろうとそのまま最近まで意識しませんでした。但し、上述の如く謎の多い作品という意識は常にあったのですが・・・。

最近各種の掲示板や、阿部達二氏の本等で話題になっているので調べたくなりました。そこで藤沢周平作品にとにかく詳しい友人にお願いをして幸いにも『オール讀物平成4年10月号』を入手する事が出来ました。したがって本節の情報は孫引きのようなものです。  (以下の文章の数字は最初が単行本、その隣が文庫本のページ番号です)

修正・加筆された箇所は以下の文章です。

「しかし、名前は言いたくありません」「わしもわかったが、言わぬ」と半十郎も言った。(288 305)

ここまでは同じで、以降が異なります。

オール讀物

小太りでやや背の低い体躯。ほんの少しの猫背をまるめるようにして赤松の豪剣とわたり合っていた姿は、いつかの夜、矢野家の庭道場で長坂権平を相手にはげしく木剣を打ち合っていた男の姿にぴったりと重なる。
ましてや同門の孫之丞にその感触がわからぬはずがない。矢野家の家僕兼子庄六こそ、秘太刀「馬の骨」の継承者にして藩主お抱えの暗殺者なのだ。一、二度そう疑った事がないではなかったが、

単行本(文庫本)

男は目立たない中肉中背だった。(288 305)孫之丞によく似た身体つきだったが、むろん孫之丞ではあり得ない。また沖山茂兵衛は死に、北爪平九郎は怪我で寝ており、内藤半左衛門は大男である。そして長坂権平はいま寺前町の裏通りにいる。矢野の家僕兼子庄六を、半十郎は長い間秘太刀の持ち主ではないかと疑ってきたが、庄六は小太りで背が低く、剣を遣うときやや猫背になる。・・(中略)・・
「藤蔵どのだ。貴公のみるところも同じか」半十郎のその問いかけに孫之丞は答えなかったが、黙ってうなずいた。 ・(中略)・・
矢野家の当主藤蔵こそ、秘太刀「馬の骨」の継承者にして藩主お抱えの暗殺者なのだ。(289 306)

そして以下の文章に繋がる。

疑問の余地なく目にうかび上がってきたその事実は・・・(289 307)

700字程の、かなりの長文に修正されています。確かに継承者が異なっています。

 継承者変更の謎

何故、継承者を連載終了後、直ちに変更されたのであろうか。 今は亡くなられてしまっているので如何ともしがたいのであるが、敢えて推測を試みました。

本作品の面白さは、斬り合いの場面の素晴らしさもさることながら、6人が立ち会わぬという誓いを破り、立ち会わざるを得なくなる理由が、作者の巧みな創造力によって展開されることであろう。

しかし、最大の面白さは、推理小説として、犯人??(この場合継承者)を探すというストーリーである。 唯、本作品のストーリーは推理小説とするには極めて難しい要素が含まれている。

まず、6人の高弟が存在する。この6人と順次試合をしてゆく訳であるから、途中で継承者が見つかっては残りの人の存在価値が全くなくなる。したがって6人の全てと立ち会うことが絶対の必須条件である。これはかなり難題である。

そしてその結末はいかにすべきか。

結局、継承者は存在しなかった。
最後の立会い者(北爪兵九郎)である。
6人のうちの誰か又は、意外な人物である。
(どこの馬の骨か判らない人物も含め)

であった場合、読者もそして作者もなんとなく納得をしないのではないか。であった場合、単に立会いの順序が全てであり、結果的に陳腐化した作品の域を出ないであろう。したがって結論として以外は考えられない。勿論作者もそのように考えていたはずである。同時に、にするためには、6人との立会いが済んだ後、『馬の骨』を遣うシーンを新たに作り、そこで初めて継承者を明示(又は暗示)する必要がある。しからば意外な人物として、誰が最適か?・・・。

当初作者はオール讀物掲載の通り、兼子庄六を想定しておられた筈である。(よって彼を継承者にした)兼子が文中に現われるのは途中5シーン程度である。(単行本19,26,37,133,134   文庫本22,29,40,143,144

推理小説を書く場合、一般的には構想を固め、犯人を決めて書き始めるのではないかと思われる。そして犯人は或る程度それなりに登場し、あまり目立った行動をしない。そしてもつれた糸を少しずつほどいて、最後どんでん返しとなる。ER氏、YS氏等の古典的な作品はこのパターンが多い。

藤沢周平氏は、書き上がって作品をあらためて読まれたら、この古典的な推理小説のパターンになっていたと判断されたのではないか。これでは斬れ味が今ひとつよくない。藤沢周平作品として納得できない。秘太刀というタイトルからしてもう少し斬れ味鋭い作品にしなければ藤沢の名が泣く(笑)。ここに変更した理由があるのではないか。私は以上のように推測しました。(^_^;)

そうなると誰にするか。6人の中から選ぶ場合『立ち会った時、何故馬の骨を遣わなかったか』の理由の説明と、走る剣客となり得ない人物の『アリバイ作り』が絶対必要となる。単行本発行に際し、時間的制約があったにもかかわらず、登場人物の各々に対して、上記の条件を満たす文章を創作・加筆することによって、切れ味の鋭い作品として完成させ、結果的に代表作の一つとして、稀に見る奥行きの深い・謎の多い作品が誕生したのではないか。

この作品には更に、継承者の異説を楽しむ話がある。 さらに続く  をどうぞ。

ご意見その他は  こちら  迄