前回に引き続き、参考となる記述に関してお話を進めます。前回までは主として方位に関する参考記述についての話でしたが、今回は方位とは直接には関係の無い、幾つかの特徴的な記述に対するお話です。先ずはその特徴的な事柄に関して列挙します。
風景・風俗描写の有無
まず風景・風俗描写を中心とした、観察情報の記述が次の三カ国にはかなり克明になされています。すなわち対海国(対馬)、一大国(一支)、 末盧国の三カ国です。伊都国から邪馬台国までは全く説明がありません。以下説明の内容を簡単に記述します。
@ 対海国(対馬)
『居るところは絶島である』
『方四百里ばかり』
『土地は山険しく深林多く道路はけものみち』
『良田無し』、『海物を食す』
『船で南北と交易をしている』
A 一大国(一支)
『方三百里ばかり』
『竹林・叢林多し』
『田地やや有り』
『田を耕せども食料不足』
『船で南北と交易をしている』
B 末盧国
『山海に沿って生活している』
『草木茂盛し、行くに人を見ない』
『水深が浅く、潜って魚鰒を捕らえる』
以上がおおよその説明です。かなり観察しているとみてよいでしょう。これに対し、前述したように伊都国から邪馬台国までの五カ国には全く観察情報が有りません。不思議と言えば不思議な話です。特に伊都国に対しても説明が無いのは妙な感じを抱かせます。何故ならば魏の使者は少なくとも伊都国迄は来ていると言うのが一般的だからです。後述しますが、 末盧国=伊都国である、と言う考えを持っている専門家も居ります。
末盧国の特徴
各国にはそれぞれ統治していると思われる『官』、『副』の名前が記述されています。それぞれの名前は省略しますが、邪馬台国には官の他、副の替りに『次』 と言う表現で三名が列挙されています。唯一『末盧国』のみ官名、副官名の記述が無いのです。この事をどのように理解したらよいのでしょう。戸四千余の国でありながら(少なくとも隣の伊都国の4倍)官名記述が無いのは奇妙な感じです。特に注意すべき事項ではないのかもしれませんが・・この問題も末盧国=伊都国である、に関連します。
@ 世世王有るも、皆女王に統属す
このような記述は伊都国だけしかない
A 郡使の往来、常に駐(とど)まる所なり
外交上重要な国であったと思われます
すなわち魏の使者は必ずここに拠点を持ったようです
B 女王国以北には特に『一大率』を置き、諸国を検察、常に伊都国に治す
伊都国には出入国管理機構のような機関があったようです
一大率に関しては、魏の出先機関説も有りますが、少数派です
C 千余戸有り
これだけの機能を持つ国であるのに『千余戸』しかないのは不思議です
千余戸は最も少ない記述です
D 風景描写無し
前述した通り、これだけの機能を持つ国でありながら、風光等
一切の記述が無いのは妙な感じです
すなわち、邪馬台国連合全体の中で、かなり重要な国であると思わせながら、記述国中で、最も人口が少ない(対海国、不弥国がともに千余戸)奇妙な特徴を持っています。
移動手段の有無
船、水行、陸行等の移動手段が大半は書かれているのに、奴国、不弥の二つの国に対しては方法が書かれていません。末盧国から、陸行五百里で伊都国に到るの後、東南至奴国百里、東行不弥百里となって、其の次の南至投馬国水行二十日云々が続きます。これも不思議と言えば不思議な話です。但し、百里と言う極端に短い距離が、この二つの国だけである事もこれまた事実です。高々百里であるから単に省略したのでしょうか。不弥国を志賀島と比定し、水行想定をする専門家もおります。
以上は一般に言われている代表的な事柄です(一部私の個人的な注目点を含む)が、これらの記述が邪馬台国への道に通ずる参考になるのでしょうか。今回は奇妙と思われる記述のみを列挙しただけで、そこから生まれる新しい議論には触れません。(次回にします・・)