今回は魏志倭人伝の信憑性の関する議論のお話をしましょう。
さて、『王沈』や『魚豢』や『陳寿』は倭に来たのでしょうか。学者の殆ど全てが『来ていない』としています。彼らは王朝に使える官吏ですから多分そうでしょう。しからばどうして倭の事を知ったのでしょう?。当然、魏の使者の話を聞き、この情報が中心となっている事としていますが、これに関して幾つかの説があります。
◎ 洛陽に来朝した倭の使者から補足的に情報を取った
◎ 魏の使者が途中までは行って見聞している (例えば伊都国や諸説あり)
◎ 魏の使者は邪馬台国迄行っている (使者の名前は魏志倭人伝に記述されています)
現在では証拠確認は当然出来ませんので、何とも言えませんが、『魏志倭人伝』の記述全体を通しての解釈から、途中まで行っていると言う意見がやや有力です。何れにしても、この結果信憑性に関して以下の様な議論があります。
◎ 魏の国を見て、倭の使者は自分の国をかなり誇大的に説明したのではないか
◎ 魏の侵略を怖れて、魏の使者に伊都国以降の方角などで、嘘の説明をしているのではないか
◎ 陰陽五行説思想に基づいた奇数を中心に多用した相対的数字にすぎない
◎ ほとんど当時の認識としての真実に近いのではないか
等々の議論があり、どのような立場に立つかによって、『魏志倭人伝』に書かれている方角や距離、戸数等の数字に対するこだわりの度合いが異なってきます。しかし、いずれにしても、書かれている文献以外に基本的手掛かりはないわけですから(考古学上の発見があるにしても、その結果を対比すべき文献として)、ここでも総体的には信頼に値するとしておきます。