前回は氏素性の面からの信憑性をご説明しました。ところでもう一つ大きな信頼性の問題があります。それは誤写と言う問題です。この誤写か否かに関しては何箇所かが議論になっており、詳細はそれぞれの項でご説明しますが、最も重要な一点に関してここではお話をしておきます。
江戸時代以降、問題視されていなかったこの文字を、重要視した研究者が『古田武彦氏』です。古田氏は『三国志』全体の中から臺と壹の使用状況、その数を克明に調査し、結論としてこの二文字が誤って使われているケースは皆無であるとしています。同時に中華思想からして、野蛮な東夷の国々には動物の文字や邪悪な文字を使うのが通例であり、臺の文字など使用するはずがない。臺と言う文字は、そもそも天子の居る場所を表す文字であるとしています。したがって『壹(イチ)』が正しいのであり、なぜ『臺(タイ)』の文字に変わったかといえば、江戸時代や明治時代 の皇国史観から、倭の王=天皇家=大和朝廷の図式があり、よってヤマト→ヤマタイが自然であり、江戸時代、本居宣長をはじめ、多くの人が何の抵抗もなく、『間違いだろうと言うことで訂正したのである』と述べ絶対に壹(イチ)であろうとしています。
一方大半の研究者は、当初の『三国志』は壹(イチ)であるかも知れないが、その後、世紀が進につれ倭に関する情報が詳細に入って来るようになった。その結果、壹(イチ)は誤りであると気づき、前述の諸文献の記述に際しては、臺(タイ)としてのである。ただ、正史としてはオリジナルを尊重し、そのまま『壹(イチ)』をコピーしてきたが、実態としてはオリジナルの出発点が誤っていたのである。倭人の発音を聞き間違えたか、又は誤字を使ってしまったのであり、実際には、636年頃の『隋書』に記述されている『「魏志」にいわゆる邪馬臺なるものあり』 の如き記述を踏襲すべきであり、『臺(タイ)』が正しいとしています。
この問題を『重要視する』か、『どちらでもよい』か、意見の分かれるところですが、邪馬台国が、文献からだけでは特定できない現状では見過ごすわけには行かないことも事実です。と言いますのは、現代の土地の地名と、当時の国名が類似している事は、場所を特定する際、極めて有利な条件の一つであるからです。ご存知の通り、畿内には大和(ヤマト)があり、福岡県に山門郡(ヤマトグン)があります。前にも触れましたが、九州説には多くの地域が候補地として挙げられていますが、中でも山門郡は有力地の一つです。したがって原文が、ヤマト、ヤマド、ヤマタ、ヤマタイの如き発音を想定するか、ヤマイ、ヤマイチ等を想定するかで、比定する場所の優位性に、影響してくることも事実でしょう。
唯、当時の中国では、日本語の発音一語に、一字を当てていたそうですから、タイ、イチと読むこと自体が変な感じもします。そのようなことを考えると『やまたい』と言う4語の発音・読み方は奇妙なことになります。このことを追求すると論争のタイトルがおかしなものになってしまいますが・・・。