最初にお断りいたしましたように、私自身アマチュアであり、深い知識は持ちあわせていませんので、この程度でお許しください。唯、邪馬台国同様、『記紀』にもかなり興味を持っておりますので、『古事記・日本書紀と魏志倭人伝』に関しては、多少私見が入り、蛇足の部分があったかなと反省しております。何はともあれ、沢山の方から、メールを頂き、邪馬台国ファンが多少なりとも増えたことに喜びを感じております。
邪馬台国問題は、このページで取上げた諸項目以外に、『現在の地名との比較問題』、『日本語の甲音・乙音発音と文字の使い方』、『当時の気象状況と地理』、『海洋学上から見た渡航技術』、『古墳の発生とその発達過程』、『銅鐸・銅矛文化圏と九州・畿内の関係』、その他、沢山の分野の研究があります。入門編の立場から取上げませんでしたが、是非研究されることをお勧めします。地名一つ取上げても、九州地方に円形に存在する地名と、同様の地名が、大和地方を中心に点在しています。(多少こじつけと思われるケースもありますが・・)これらをどう捉えたらよいのか。面白いテーマが沢山在ります。アマチュアとして、どなたかがホームページで発表されることを期待し、楽しみにしています。
最後になりますが、たーさんは何説ですか?とのお尋ねがメールでいくつかありましたので、私見を少しだけ書かせて頂きます。邪馬台国問題は自説を中心にして、既に決着しているとする専門家も数多くおいでになります。九州説、畿内説いずれかは別にして、今後研究が進み、いつの日かまさにその通りであったと結論づけられることでしょう。ただ現時点においては、反論もあり、冷静に見て、未解決であると考えます。したがってアマチュアの私など当然どちらか判りません。が、この問題に関心を持つ一人として、一応それなりの考えは持っています。
邪馬台国問題に興味を持った当初から、およそ20年程度の間は九州説が正しいのではないかと思っておりました。九州説を補強する書籍が多く、説得力がありましたから。しかし10年前頃からやや畿内説に傾いています。今は7:3で畿内説と言うところです。アマチュアの考えるその理由などおこがましいので述べませんが・・
唯言える事は、この問題を解く鍵は、魏志倭人伝そのものよりも、『記紀・特に日本書紀』にあるような気がします。日本書紀の多くの矛盾点がなぜ存在するのか、その真意は何なのか、多くのヒントが隠されているように思われます。したがって今後は、魏志倭人伝を少し脇において、あらためて記紀の研究をしようと考えています。
それはともかく、もしも『魏志倭人伝』と言う書物が存在していなかったとすると、我が国の古代史はどのような形に整理されているでしょう?。神話の部分に関しては疑問や議論が行われるでしょうが、多分九州地方から東征が行われ、古代大和朝廷が畿内に確立したとして、誰も疑うことも無く落ち着いていることでしょう。たった2000文字足らずの書物が存在した事によって、古代日本国家統一をめぐる議論が白熱していることも面白いことです。
266年の壱与の遣使以降、413年の讚の朝貢迄の147年間の空白を埋める、倭に関する文献が発見されるなどと言うがあると楽しいのですが・・それは無理でしょうね。(391年朝鮮に出兵の記録有り)(好太王碑文)
たーさんの部屋の『邪馬台国への誘い』はここで終わります。