記紀から得る邪馬台国のヒント

 記紀は邪馬台国に関して、具体的に何かを記述しているのか?。結論から言えば邪馬台国に関して、特に語っていません。したがって当然の事ながら、記紀から直接邪馬台国の所在を導き出すことは不可能です(不可能であるから論争がつづいているわけですが・・)。しかしながら検討に値する、重要と思われるキーワードが存在しています。基本的には以下の三点に絞られるでしょう。(専門的にはその他多くの論点が有りますが・・)

  @ 神武東征と言われる『東征説』は邪馬台国時代の前か後か。
       邪馬台国時代の後で行われたとしたら、九州説が有力。(邪馬台国勢力が東征)
       邪馬台国以前に行われたとすれば、畿内説が有力。(東征後邪馬台国に発展)

 エンブレムに関して、古代史獺祭 主人 http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/ 様より以下のメールを頂きました。大変納得のゆく情報ですので掲載いさせていただきます。ありがとうございました。

 このたび(株)学習研究社発行の「歴史群像シリーズ67 古事記 記紀神話と日本の黎明」のなかにこの件にふれた記事を見つけましたので以下に引用してお知らせします。

2002年6月、日本を熱狂の嵐に巻き込んだサッカーW杯、ご存じの方も多いだろうが、我が日本代表のユニホームにも、三本足のカラスがエンブレムとして使われている。
ところで、なぜサッカーにカラスなのだろうか。
現在のエンブレムは、日本サッカー協会が、1931年(昭和6年)に採用したものである。図案を発案したのは東京高等師範学校(現・筑波大学)教授の内野台嶺(うちの・たいれい)。内野は同校蹴球部出身で、先輩に日本サッカーの生みの親といわれる中村覚之助(なかむら・かくのすけ)がいた。
中村は、八咫烏ゆかりの熊野・那智勝浦の出身で、生家は熊野三所権現の氏子であった。
内野がこの図案を選んだ理由は、実のところよくわかっていない。が、日本サッカー界における中村の功績に敬意を表し、出身地に因んだ瑞鳥・八咫烏を図案に採用したのではないかともいわれている。
いずれにせよ、ユニホームに燦然と輝く三本足のカラスは、我らが日本代表の守護神として、次回2006年W杯でも、代表チームを勝利へと導いてくれることだろう。