前回は、銅鏡議論のあらましについてお話しました。銅鏡論争のイメージは持たれたと思います。要するに『ああ言えばこう言う』と言う状態です。今回は先ず、卑弥呼の鏡として候補に上がっている意見を整理し、次に議論の中心となっている三角縁神獣鏡に関して、もう少し掘り下げてお話します。
後漢鏡を中心とした複数種類からなる | 朝貢した年よりも古くから存在していた鏡をもらったとするのが自然である。わざわざその年の年号を入れた鏡を、その場で作ることは不自然である |
青龍三年鏡を中心とした数種類 | 西暦235年銘の銅鏡が出土した事実から考えて、年代から判断して卑弥呼の鏡としか考えられない。出土枚数は現時点では小数(2箇所から各1面)であるが、今後出土が期待できるのではないか。勿論一部の三角縁神獣鏡も含まれる |
紀年鏡を中心とした三角縁神獣鏡 | 三角縁神獣鏡にも沢山の種類があるが、紀年鏡の出土が全てを物語っている |
さて、後漢鏡に関しては、イメージとして上記のような考えもあるでしょうが、入門レベルとしては、具体的に議論の対象となるやさしい論点がありません。銅鏡問題は、入門レベルでは何と言っても三角縁神獣鏡でしょう。青龍三年の銘がある方格規矩四神鏡(ほうかくきくしじんきょうと読む)も含めて 入門レベルの知識と言うことで、三角縁神獣鏡に的を絞ってお話をします。 銅鏡に関する書物は、平易な書物が比較的少なく、非常に専門的な出版書籍が多いのが現状です。
入門レベルとしては、東京新聞の1998年3月1日付けの日曜版『謎の三角縁神獣鏡』が手ごろな教科書となりますので、これを参考にさせて頂きます。(日刊紙であると言うことから、敢えて東京新聞社にはお断りしておりません)同時に、『講談社・邪馬台国論争(1995年7月10日初版)岡本健一氏著書』の書籍を始め、私が乱読した書物を参考にさせて頂き、やさしく整理しながらお話を進めます。なお本書は、邪馬台国論争に関する書籍としては、非常に分かりやすく書かれた書籍であり、このテーマに興味をお持ちになった方々にご一読をお勧めします。
@ 径21〜23センチと大型である
A 縁の断面が三角形である
B 外側を取り巻く模様は鋸の歯のようなギザギザ形の模様(鋸歯文帯)である
C その内側に波の模様が二つ重なっている複線波文様がある
D 更にその内側にBのリングが1〜2周存在する
E その内側に銘帯(文字が書かれている)や、唐草文帯等がある
F 更にその内側に、神仙像と霊獣がある
抽象的な表現ですが、以上の条件の鏡を言うようです。特に重要なのは『銘文』として書かれている文字の内容です。この書き方は専門家の言うには、21のパターンに別れるようですが、専門的なことは別として、『中国の年号、地名、鋳造の工房、作者名、それに縁起の良いことを現す吉祥文、神仙や霊獣の名前』等が記載されています。元々は四神四獣が基本のようですが、三神五獣や、六神四獣等沢山のパターンは次々と生まれ、出土しています。したがって皆同じではなく、多くの種類が有ります。東京新聞からコピーさせて頂いた写真を掲載しますので、イメージを掴んでください。
最近発見された奈良県天理市柳本町の黒塚古墳の32枚を含め、500枚以上の三角縁神獣鏡が出土しています。出土状況はこの結果、奈良県が京都府を抜いて第一位となりました。京都府山城町の椿井大塚山から出土した32枚が最も有名でしたが、邪馬台国畿内説の中心である、大和地方からの出土は、畿内説の方々に強い味方の追い風となったようです。(東京新聞評)
現在までの出土状況は、北は福島県から南の鹿児島県迄ほとんどの県で発見されていますが、奈良、京都、兵庫、大阪、岡山、が群を抜いて多いのが実態です。ただ福岡県でも49枚の出土が有ります。これらの銅鏡は、諸説が有りますが『国産品』と『中国製』の二つのタイプに分けられるそうです。(実は最大の議論となっています・・次回)一方、各地から出土した三角縁神獣鏡には、同じ型の鋳型から作られた『同型鏡』が多数有るそうです。これらの議論を含め、三角縁神獣鏡は卑弥呼、台与が魏からもらった鏡なのでしょうか?
あるいは違うのでしょうか?