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『回天の門』余談

 鶴岡在住の熱烈な藤沢周平ファン「こーちゃん」から下記の情報を頂いた。藤沢の名著「回天の門」に関する情報である。山形地方紙「庄内日報」2010/8/24付けの新聞資料で多少判読しづらいが、以下に掲載をします。一般紙と言うことから庄内日報さんにはことわりを入れていないが、著作権侵害のクレームが来た場合、直ちに掲載を中止します。

 ご覧のようにこの発見史料よれば清河八郎の「無礼討ち」は、実は『南北奉行所が仕組んだ囮捜査』であった可能性が高い、と理解することが出来る。専門家からみれば貴重なものであろう。

 一方、清河八郎に関して、藤沢周平著『回天の門』でしか知識の無い私には、これが通説を覆すほどの貴重な史料なのか、恥ずかしながら判らない。まさに猫に小判と言うところか。以下恥の上塗りであるが、め●らヘビに怖じずで一言。

 清河八郎に関しては、新撰組に関する小説などで、幕府御用の浪士組の中核として上京、その後本性を現して尊皇攘夷を実行しようとした策略家・・・好きなタイプの人ではないなぁ、その程度の事しか知らなかった。1986年10月文庫が出版されて通読し、はじめて清河八郎の生涯を多少知ったのであった。以降3回ほど読み直し、実家からの膨大な資金援助や彼の行動範囲の広さに驚いたりすると共に、八郎の見方を変えたことを覚えている。

 本書では、比較的有名な浪士組の結成以降の話は、最終章に近いところで書かれ、全体から見れば10%程度である。その大半は少年期における閉塞感から江戸へ、そして犯罪人として逃げ回る人生を描いている。著者もあとがきで書いているように、郷土の偉人の誤解を解きたかったようで、彼の人生そのものを克明に書き切っている。

 問題の場面、町人風の男を「無声の気合ととに八郎は腰をひねった」ではじまる居合を遣うシーンは、作品の半ば「男の首」の五に出てくる。ここで殺害と同時に奉行所の捕吏が湧くように現われ、彼等は瞬時に「罠」だと気付き永い逃亡が始まる。虎尾の会の結社が問題とされた迄は思いが到ってないようだが、殺害した男が捕吏であることを確信する。無礼討ちの作法云々などは全く書かれない。

 少なくとも藤沢周平はここで言う新発見の史料の内容を当然のように書いていると思って間違いあるまい。無礼討ちが通説であったとすれば、何故このように自信を持って書けたのか、かなりの調査をされたのあろう。因みに参考文献として藤沢は22冊を列挙している。
 (私の所有する本は文春文庫1986/10/10第一刷(¥600)でその後加筆修正されているかもしれない)

 本書を通してしか知らない私には、むしろこの記事によって「無礼討ち」が通説だったのを知って些か恥ずかしい思いである。(^_^;)同時に本史料に感謝である。それにしても歳を取った、本作品はやや重い作品である、再読にかなりの時間がかかった。しかし読めば読むほどよくぞここ迄調べ上げたものだと、あらためて感服した次第である。藤沢作品初の長編作品「雲奔る 小説雲井龍雄」と合わせて読むと、藤沢周平の引き出しの深さを思い知る。それにしても維新前後の話は奥が深い、そして面白いとしみじみ思う。

2010年9月記述  

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