『密謀』雑感 著者の想定を超えた作品
2009年はNHK大河ドラマの影響で直江兼続がブームのようである。藤沢周平の作品にも直江兼続を主人公にした作品『密謀』があることはファンの知るところである。私には以前から藤沢周平作品の歴史小説で不思議に思っていることがある。
このホームページ『周平作品の周辺』の「もとでの掛かる職業」で縷々述べている。その一部を引用すると
短編の名手といわれる藤沢周平にも歴史・伝記作品はそれなりに存在する。長編作品として『雲奔る』『義民が駆ける』『一茶』『回天の門』『密謀』『白き瓶』『市塵』『漆の実のみのる国』 等等である。折角歴史的史実に多くの引き出し持っているにもかかわらず、その引き出しを活用した作品は何故か少ないと感ずるのである。その理由は、歴史上の有名人物よりも脇役や名も無き人人を多く題材にしている等、色々言われている「藤沢周平作品の特徴」の通りであろうが、何となく腑に落ちない。作家としては創作期間が比較的短かった藤沢周平・・・多くの短編作品を発表する過程を考えると、時間的余裕も無かったのであろうが、豊富な歴史上の知識をもう少し活用してほしかったという思いがあり、残念さと疑問を持ち続けている。
長編作品全体を俯瞰してみても大半が史実中心の伝記的歴史小説であり、創作的要素を持った作品は極めて少ない。特に戦国時代前後は、小説の題材の宝庫である。驚くほどの知識を持ちながら、小品としていくつかの短編作品は散見するが、長編小説としての作品は『密謀』だけである。
何故であろうか・・・。この様な疑問を持ちながら、藤沢周平の歴史小説に対する考え方を、いくつかのエッセー作品を参考にしながら考えてみた。因みに『密謀』は80/9/16〜81/10/3迄毎日新聞に311回にわたって連載された作品である。
先ず、歴史小説や密謀に関する以下のエッセーを執筆順に読んでみた。
書きにくい事実(小説の周辺) 78/10 歴史のわからなさ(周平独言) 81/08 単行本刊行初出不明 史実と想像力(周平独言) 同上 密謀を終えて(小説の周辺) 81/10 試行のたのしみ(ふるさとへ廻る六部) 81/12 |
その結果ある一つの答えに到達した。それは「歴史小説は軽々に書くべきものではない」と考えていたのではないか、と言うことである。周平独言に編纂されている二つのエッセーの初出は不明であるが、推測すれば『密謀』執筆以前であろう。後の二つは『密謀』を書き上げた直後の作品である。その内容は必要に応じてお読みいただくとして、ここで孫引きすることは避けるが、以下のような事柄を言っている。
○ 小説は錦の御旗などではない、という考え方を原則にしなければならない ○ 場合によっては子孫の存在を意識すべきである ○ 良質な資料とされるものでも全面的には信じがたいと言う疑問がある ○ 江戸時代は比較的資料が豊富で信憑性もあるが、戦国時代は判断がむずかしい ○ 資料を駆使しながら現代的視点の再構築には異論がある ○ 書こうとすれば私など「ひと跳び」が必要で、腕をこまねいている ○
「密謀」は上杉に焦点を絞ろうとしたが、歴史の本流を重複して言及せざるを得なかった ○ 歴史小説における想像は小説家の領分といっても許容範囲がありエチケットが必要である ○ 動かしがたい史実と言うが、歴史の総量からみれば微微たるものではないか |
等等が書かれ、歴史に刻まれた事柄に対して懐疑的なスタンスで資料に立ち向かう姿勢を示している。その上で想像力も不可欠であるが、その想像は野放図であってはならないと言い切っている。勿論歴史小説に関して、先人が切り開いた通説、定説は尊重しなければならない等、寛容な姿勢をみせている文章も存在するが、人と争わないことを基本に置いた藤沢周平の含羞であろうと考える。
更に独断で行間を読めば、暗に世の中に流布している歴史小説に対し、想像力が許容範囲をはるかに超えて、実像と異なった虚像の人物を作り上げている現実に、一作家として危惧を抱いているように思えるのである。そして私はそのような作品は一切書かないであろうと・・・。それらを総合すると、結論として書いた「歴史小説は軽々に書くべきものではない」に思いが至るのである。更に言えば『密謀』執筆後の誤算に関する記述を読むと、特定の人物・家に焦点を当てて書こうとしても、読者が既に承知している歴史の本流を外すわけには行かなかった現実を反芻し、より一層歴史小説は軽々に扱ってはならないと言う思いを深めたのではないかと推測する。
そのような観点を裏付けるものとして、『周平独言』に編纂されている「時代のぬくもり」がある。ここにはいくつかの歴史的事柄について、解説文の如きエッセーが事細かに記述されている。詳細は省略するが「鳥居元忠の奮戦」などは、まさに『密謀』のダイジェスト版の如き書き物である。また近著『帰省』Vにもこの様なエッセーが散見でき、更に言えば『ふるさとへ廻る六部は』の「試行のたのしみ」で「越水の会」を取り上げなかった訳が書かれている。このスタンスが藤沢の史実に対する考え方ではなかったと想像させるに充分な資料である。
この様な観点から、戦国時代を中心にした作品が極めて少ない(中篇で逆軍の旗がある)のではないか、素人の独断による一つの答えである。これは藤沢周平の矜持なのかもしれない。疑問が完全に解消したわけではないが・・・。
『密謀』の後、戦国時代作品は私の知る限りにおいて発表されていない。後に『市塵』『漆の実のみのる国』と言う江戸時代の歴史小説を発表しているが、資料の確かさやその他縷々その訳が明確であるが、ここでは言及しない。拙いこのHPの「作品とエッセーの関係」を参考にして頂きたい。
引き続き 続 密謀雑感
2009年2月23日記
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