このホームページを訪問してくださる方のなかに、少数ではあるが「たーさんのお勧めの作品は?」と言う質問を受けることがある。「映画を観て本格的に藤沢作品を読んでみたくなった」或は「少し読んでみたが、更にという作品は何ですか」と言うのが動機のようである。小説は、読む年齢によって感動も異なるし、それぞれ好みは千差万別であり、その上私にはそれに答えるほどの見識もないので、丁重にお断りをしているが、中年以上の方からの楽しい問い合わせには、極々稀ではあるが、私の好きな本という形でお答えをする場合がある。
いささか気恥ずかしいことではあるが、このような質問に答える意味で、この『周平作品の周辺』のページで、分不相応ながら、藤沢周平を知るための入門書としての「私のこの一冊」を書こうと考えた。(~_~;)
藤沢周平作品を知るための入門書としての私のこの一冊は『麦屋町昼下がり』(文春文庫)である。本書に編纂されている作品は、表題の「麦屋町昼下がり」「三ノ丸広場下城どき」「山姥橋夜五ツ」そして「榎屋敷宵の春月」の4作品である。短編の名手と言われる藤沢作品にしては、4作品とも多少量感のある中篇小説で、読み応えも充分である。作品の内容はここを参照していただくとして、全作品とも推理小説的なミステリータッチで話が展開され、藤沢独特の美しい情景描写を友として、読者を引き込んでゆく。藩政に組み込まれた武士各々の立場、武家の子女の巧みな存在感と悲哀、静かでそして激しい見事な斬り合いのシーン。
武家もの作品のエキスが全て詰まった、まさに藤沢ワールドとは!を明快に知ることの出来る作品であると考える。
その上で本作品群は、全て最終章のクライマックスに作品名となっている場所と刻(とき)が登場し、正義が報われ、明るい未来が約束されるラストシーンによって、爽やかな読後感が心地よく残る。
麦屋町は、不貞を働いた妻を斬り捨てた夫が立てこもり、主人公が討手としての仕事を、三ノ丸広場は、護衛に失敗した主人公がその汚名を晴らす場所として、更に山姥橋は、主人公の減石の原因が氷解し、朋友の自害の無念を晴らす場所となり、そして榎屋敷は、この屋敷に住む一見粗野・豪放な感じの主に、最後の手段として正義の相談を持ちかける女の勝負の部屋となる。しかも作品全体を通して時刻が刻々と変化して行く様子を表現した文章は、まさに藤沢の真髄ではなかろうか。
本作品は、1987年(昭和62年)4月から、1989年(昭和64年・平成元年)1月まで、2年弱の間にオール読物に独立した作品として掲載され、同年3月単行本として刊行された(92年文庫化)ものである。独立作品として読んだ場合、それぞれが佳作であることは言うまでもないが、一冊の本として編纂された時、更に燦然と輝く見事な作品に昇華したように思えるのである。
それは4作品のタイトルである。いずれの作品も「場所」と「時刻」でなっている。4作品をあらためて眺めた時、読者は『あっと驚く』のである。「昼下がり(正午)・下城どき(午後四時)・夜五ツ(午後八時)・宵(午後十時)」と進む時刻の変化、ここに本書の新しい価値観が生まれるのである。
著者の立場に立って考えると、少なくとも最初から意識をしていなければ、このようは本は生まれない。藤沢はこのような巧みな手法を用いて、単行本になった時、初めて読者に悟らせ、ニヤリとしていたのではあるまいか。著者に脱帽である。(某ビジュアル誌では全く言及していないので、素人ファンの独りよがりかも知れないが・・・)『たそがれ清兵衛』も主人公の特徴を現した題名の作品集であるが、一見して気が付くので、個人的にはタイトルに関しては本書のような感動を覚えない。(^_^;)
ご存命の時は、発表される作品を待ち焦がれ、本が出版されると順次読んだが、お亡くなりになって早10年。藤沢作品全体が俯瞰できる今、代表的なジャンルである武家もの(海坂藩)の入門書として最適な本であると考えている。本書がつまらなかったと思った方は、藤沢周平作品とは縁遠く肌に合わないと思ったほうがよいかもしれません。但しその前に、もう一冊『橋ものがたり』(新潮文庫)を読んでからにしていただけると・・・。
2007年9月記
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