「やまがた散歩」は1972年8月〜2001年1月迄、全339冊の月間誌(やまがた散歩社・・高橋正司氏編集)であることは承知していた。しかしその詳細については不明のままであったが、遂に藤沢周平の寄稿作品の全貌を把握することが出来た。藤沢作品に関して大変に詳しく、同時に熱烈な藤沢ファンの友人から嬉しい情報が届いたのである。心からの感謝である。
「やまがた散歩」に寄稿・掲載された作品は「半生の記」の中の『わが思い出の山形』に編纂された19作品、「藤沢周平全集25巻」の「拾遺」に掲載されている2作品などと勝手に推測をしていた。一方で2年上に亘って寄稿されていたとの情報もあり、数が合わず判然としなかったのであったが、やっと氷解したわけである。以下に掲載作品の詳細を記述しますので、関心のある方は参考にしてください。それぞれの作品に写真や絵が載っているのに驚くと共に、より一層イメージが湧くのを覚えました。
や ま が た 散 歩 | 藤沢周平刊行本 | |||
作 品 名 | 掲 載 号 | 写真又は絵の情報 | コ メ ン ト | |
四十の坂 | 1974年04月号 | 帰省 | ||
上野駅で | 1978年09月号 | 同上 | ||
小倉さんへの手紙 | 1987年04月号 | 著者のポートレート | 作家小倉俊生氏の作品に対する私信の書評 | 無し |
記憶について | 1990年05月号 | 旧山形師範(現教育資料館) | 半生の記 | |
厳粛な飢え | 1990年06月号 | 三島通り | 同上 | |
モク拾い考 | 1990年07月号 | 寄宿した北辰寮 | 同上 | |
済生館 | 1990年08月号 | 元済生館 | 同上 | |
「青春の映画館」 | 1990年09月号 | 黒沢明作品「素晴らしき日曜日」のワンシーン | 同上 | |
善龍寺さん | 1990年10月号 | 善龍寺門前 | 山形の下宿(1) | 同上 |
須貝さんの二階 | 1990年11月号 | お薬師様前通り | 山形の下宿(2) | 同上 |
三軒目の下宿 | 1990年12月号 | 著者のポートレート | 山形の下宿(3) | 同上 |
ハッピーミシン | 1991年01月号 | 山形の「大黒舞」 | 同上 | |
詩人 | 1991年02月号 | 真壁仁氏の写真 | 同上 | |
続 詩人 | 1991年03月号 | 丸山薫夫妻の写真 | 同上 | |
仰げば尊し(1) | 1991年04月号 | 恩師関 良一さん遺影 | 1作品にまとめて 半生の記 |
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仰げば尊し(2) | 1991年05月号 | 山形師範前の辻 | ||
仰げば尊し(3) | 1991年06月号 | 大泉学園町自宅付近の著者 | ||
運動会 | 1991年07月号 | イラスト「六稜の青春」 | 半生の記 | |
乱読の時代(1) | 1991年08月号 | 同上 | 1作品にまとめて 半生の記 |
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乱読の時代(2) | 1991年09月号 | 「三太郎の日記」の写真 | ||
乱読の時代(3) | 1991年10月号 | 著者のポートレート | ||
県営グランド | 1991年11月号 | 山形市競技場 | 半生の記 | |
にいにい蝉 | 1991年12月号 | 沼の辺貯水場 | 同上 | |
同人雑誌(一) | 1992年01月号 | 「砕氷船」表紙・藤沢作品 | 1作品にまとめて 半生の記 |
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同人雑誌(二) | 1992年02月号 | イラスト「元山形師範学校」 | ||
同人雑誌(三) | 1992年03月号 | ご自宅の著者 | ||
村山弁など | 1992年04月号 | 同上 | 半生の記 | |
四十の坂 * | 1998年02月号 | 講演中の著者 | 一周忌追悼として再録 | 帰省 |
上野駅で * | 1998年03月号 | 山形のなかま(集合写真) | 一周忌追悼として再録 | 帰省 |
自己主張と寛容さと | 1998年04月号 | 1983/6山形市千歳山の著者 | 没後一年偲んで、初出は 山形県情報誌「いま、山形から・・・」 |
ふるさとへ廻る六部は |
村育ちということ | 1999年02月号 | 1980/10山形市で講演する著者 | 三回忌追悼、初出は追悼集「悼 江口文四郎」に寄稿(89/7) | 帰省 |
結局、25ヶ月連続連載された作品は、19の作品に集約され全て「半生の記」の『わが思い出の山形』に掲載されており、その他の作品も、唯一つの例外を除いて、藤沢周平刊行本に編纂されていた。(ふるさとへ廻る六部は・全集25巻)
その例外は、「小倉さんへの手紙」と題する私信である。掲載された号の「あとがき」で『お二人に、たってお願いして掲載させて頂いた。』とあり、掲載の経緯が理解できる。小倉俊生氏の10の作品に対し、丁寧な論評をしており、『ある年の夏』や『母の晩年』という作品を高く評価しているなど、藤沢周平の人柄が滲む手紙である。
92年4月号(連載の最終回)には、なんと『白き瓶』の解説を書かれた「清水房雄」氏の『山形のゆかり』と題する一文が掲載されている。「関 良一のこと」「藤沢周平氏のこと」のサブタイトルで、周平氏の『仰げば尊し』をベースにおきながら洒脱な文章で読者を楽しませてくれる。周平作品ではないが読み応え十分の素敵なエッセーである。
三回忌追悼として、最後に掲載された「村育ちということ」の316号では、作品ではないが周平氏が書かれた『おくやみ』『お礼』『祝辞』が編纂されている。私信ゆえ内容は省略する。以上が「やまがた散歩」にめぐり合って整理した内容と雑感である。
これによって「グラフ山形」「庄内散歩」「やまがた散歩」の全容が把握できた。一安心である。(笑)
2008年7月11日記
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