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「風の果て」
奇妙な章名 「陰の図面」


 藤沢周平と作品の熱烈なファンの友人から「風の果て」で『陰の図面』と言う章があるが、この陰の図面とは、どのようなものであろうか?と言うメールが届いた。私は本作品をかなりの回数読み返しているが、今までこの様な疑問を持ったことはなかった。他の章名「片貝道場」「わかれ道」・・・「天空の声」はそれなりに理解出来るが、しかし、言われてみれば「陰の図面」とは確かに何かを暗示するような章名である。そして読み終わった後で考えても、どうも判然としない。友人の慧眼に感心をすると同時に、あたらな興味と挑戦欲が湧いてきた。
この図面とは・・・。著者の言う陰の図面とは一体何か、誰が何の目的で引いた図面か。

 友人と何回かの意見のやり取りをしながら、参考になるご意見を多く伺った。話は「陰」と言う文字から、市之丞に出されていたと推測される「陰扶持」にまで及んだ。しかし、市之丞は「陰の図面」の章では、又左衛門が過去を反芻する以外は全く登場しないのである。だが、登場していないからこそ、まさに陰ではないか・・等等色々思考したが、これぞ!と言う結論を得ることは出来なかった。

 そもそもこの章は七つの節からなる非常に長い章である。郡奉行から筆頭家老に上りつめる桑山又左衛門の異例の出世と、筆頭家老杉山忠兵衛の失脚迄の、本作品の中核を成す要の章であることはいうまでもない。一つ考えられることは、分割しては著者の意図が伝わらないのではないか。だから長いのだ!そんな思いがする。 

 郡奉行となった又左衛門が、忠兵衛の許可を得て、羽太屋と交渉し太蔵が原の開墾の約束が決まった場面で「政変」の章が終わる。そこで「陰の図面」以降果し合い迄をダイジェスト版として整理してみた。

 「陰の図面」とはどのような「図面」なのか。市之丞の「陰扶持」は「誰から出ていたのか」のか。原作の順序とは異なり、事象を時系列順にしている。(ダイジェスト版だがそれでもかなり長い・・m(__)m)

赤色の部分は、殿の期待の大きいことを現す文章
青色の部分は、忠兵衛の起こした行動と又左衛門排斥の動き
茶色の部分は、市之丞の陰扶持について思案する文章

ダ イ ジェ ス ト 内 容 章・節
・又左衛門39歳、寛政四年七月の城中会議後、殿に開墾状況を説明、殿の開墾地視察
お上から「しかし、よくやった」と褒められる
その翌年、花岡をさしおいて郡代に昇進、家禄330石。
・殿の視察の四年後、中老に昇格、次の郡代を誰にするか、
 お上からもご下問があるだろうからと言われる

・殿の信頼は厚いことを悟り、花岡を推挙。
陰の図面 二
・敷地1600坪に屋敷替え、賄賂の多さに当惑、住吉屋に相談。
・執政という世界に驚きつつも納得。
・藩主の血筋の原口、小谷から呼び出され重要な話を聞く。
   執政内の派閥の事・孤立はいかん気をつけろ・中老入りに反対した人物がいる
お上はそこもとに大層のぞみをかけておられる、とここでも言われる
・殿は小黒の家を潰したのはやり過ぎだと思っている

お上の想像を超えた小黒家の処分、小黒の倅などの逃亡を手引き、忠兵衛が疑われたこと等等、
  藩主筋は全て承知していたことを知らされる。
忠兵衛には気をつけることだ、と教えられる
陰の図面 三
・原口から言われた通り佐治家老から誘いがある。
又左衛門の中老入りは殿の推挙、忠兵衛は反対であったことが判明

忠兵衛は楢岡外記を推挙したとの事である
・佐治家老は杉山派ではなく中立であることは理解する。
郷方務めと執政の相違を反芻し、佐治に対しても距離を置く
陰の図面 四
・ふきの営む「卯の花」で「目立たぬように」というふきの言葉に
  「男の意地」と忠兵衛との対決姿勢を腹に決める。
・佐治は予想通り家老職を罷免、楢岡外記が中老入り、杉山派が執政を独占。
・多田、和田、又左衛門は問題外となるが、又左衛門は郡代上がりの執政らしく振る舞う。

・執政入りして三年経って、多田が杉山派の専断を不満に思い引退。
・遂に又左衛門が家老に昇格杉山派の山内が中老に入る
和田家を訪問、協力を要請、それなりに手は打っている事を示唆。
陰の図面 五
・二年後の春、執政会議で忠兵衛が新竿打ち直しを提案
・その事を事前に知らなかったのは又左衛門と和田のみ

又左衛門は反対を表明、議論する中で、和田の協力もあり、結論は大会議で決する事になる。
・大会議で又左衛門は反対勢力を結集し、廃案とした。
・それ以降、未納年貢米問題、借財整理で二度も忠兵衛と衝突。
・こうした対立があったものの、忠兵衛は特段の変化は見せず、一見平穏な状態が続く。

・しかし、三年後の雪の日の夕刻羽太屋に調査が入った事を知る
・調査は太蔵が原の請負以降との事である。
・その夜、又左衛門も動く、すなわち小黒追放の真相究明に、元大目付堀田を訪ねる。
堀田は言う、お上にも言わなかった秘事がある、と。
陰の図面 六
・堀田勘解由の話は奇怪この上ない話であった。
・300名を綿密に手配した。脱出など論外の配備である。
・小黒屋敷は特に厳重に配備、堀田自身も巡回をした。
・城からの使者を迎えたその時、裏門の交代だと称して、足軽目付け小川宗蔵率いる
   鉄砲足軽十名が登場。
・この間に小黒勝三郎以下四名が脱出、足軽が一人殺害される
・交代の命令は、中老の山内の名前であると言う
・いかにも反杉山派の行動とみえるが、実態として杉山派の仕組んだ仕業と推測する
・事件後の調査で、鉄砲足軽の調書を保存していると堀田は言う、必要ならばお渡しします、と。
・更に又左衛門は動く、鉛銀30個が今2個しかないことを把握。

・年を越えた三月、お上を迎えて最後の大論争がある。
・羽太屋との癒着や「ふき」のことなどを言われるが、一気に反論を始める。
・小黒事件の再調査、鉛銀の使途を突かれた忠兵衛は遂に失脚
・「はめられた」と吐き捨てる。お上はすっと立ち上がり無言で部屋を出る
又左衛門は遂に筆頭家老に就任
陰の図面 七
・筆頭家老になった年の晩秋、夜分になって、市之丞が「果し状」を持参する。
・家士の青木藤蔵が受け取る。
・藤蔵の話によれば、市之丞が当家に来たのは、春三月以来とのこと。
・市之丞に特に変わった様子はないと言う。藤蔵に住処を調べるように指図する。
片貝道場
・先ず、又左衛門は光明院を訪ねる。しかし会えない。
・今朝方藤蔵がうろついていたところを見た市之丞は外出、当分帰らないとのこと。
わかれ道
・光明院の帰り道、旧三矢庄六、現藤井庄六の家を訪ねる。石高二十石。
・庄六は梵天川の堤普請に出ていて不在。
・味噌汁をご馳走になりながら、庄六の彼らしい生き方を考える。
太蔵ヶ原
・朝、来客と会う、造酒問屋の西島、郡代の白井徳兵衛と作柄について。
・藤蔵に市之丞の行方を探すよう指示して、午前十時登城。
春の雪
・会議は一時間程で終了、不穏な動きがあることを知らされる。
・相手は楢岡、松波の二人とのこと、杉山忠兵衛は無関係の様子である。
・午後三時退城、初音町の料理茶屋「橘屋」で羽太屋と会合。借金の肩代わりの交渉である。
この話を知っているのは、藩主と元締めの神尾杢内だけだという。
・その後「ふき」の営む「卯の花」に立ち寄る。
・日没後、舟で帰宅途中に刺客に襲われるが、なんとか難を逃れる。
・今日は一日、政務に追われ市之丞のことを考えるゆとりが無かった。
暗闘
・昨夜のことを思い出しながら、市之丞の「陰扶持」の真の実態を考える
・藤蔵が探索から帰ってくるが、実家を含め影も形も見えない、と報告を受ける。
町見家
・昔、市之丞が暮らしていた餌刺町宮坂の後家の家を訪ねる。
・後家の「類」は未だにそこに住んでいた。市之丞は昔出て行ったきりだと言う。
・「類」に五両の金を無心される。
・又左衛門は、ふっと、市之丞は杉山屋敷に・・・と思う。
政変

・「類」と別れた後、初音町に寄らず帰宅。
夕刻下男の友吉から杉山家の畑の手入れがおろそかな様子を耳にする
政変の頃を思い出し、陰の功労者市之丞のことを考える
市之丞は結局、捨て置かれ厄介叔父のままである
陰扶持は忠兵衛からではないか
陰扶持の話は誰から聞いたか。忠兵衛と中根又市から聞いた事を思い出す
・陰扶持は忠兵衛から?或は殿から?と迷う
忠兵衛は市之丞を走狗にして、再起を狙っているのではないか。色々思案する。
・そんな思いがよぎる中、藤蔵が帰宅「海穏寺」にも居ないことが報告される。
・但し、市之丞は病気であると言う。奇妙な話ではある。
・中根に会ってみよう!と思う。

陰の図面
・そしてその夜、二人の男に会った。 桐の間出仕の高瀬半左衛門と御槍組の中根又市である。
・高瀬半左衛門は言う、お上が忠兵衛の護衛を指示した事実は無い。まして市之丞など。
・中根又市は言う、陰扶持の話は忠兵衛から出て、「師匠が斡旋したのですか?」と。
・忠兵衛以外の人物であることを想像させるように、忠兵衛が中根に吹き込んだようだ
・更に過去に小黒派の岩村、桂屋升六の二人が病死が、実際は殺害されたのであり、
   四年後蒲池清助の上意打ちは山崎作之進と市之丞であると。
・ここで市之丞に出ていた陰扶持は忠兵衛からではないか、確信に近い思いを抱く
・忠兵衛は、政権を手中に握るため表側ではこの俺を、裏側で市之丞を使っていたと判断
・執政入りして以来の事柄を種種反芻し、来し方を思い浮かべ気持ちの整理をする。
・五日目の朝の日が昇り始める。明け方、一人でゆくべきかと思う。
・そして果し合いへ・・・
・「忠兵衛が執政からおろされて、貴公もお払い箱に・・」市之丞の顔色が変わった
天空の声

 以下、ダイジェスト版を整理した結果から考えられた事柄を纏めてみた。全体的には前述したとおりの筋書きである。

1. 章の前半は、藩主とその血筋が、又左衛門を非常に高く評価している場面がしきりに出てくる。
2. 中盤では忠兵衛の派閥拡大の動きと、独断的な施策が中心となる。
3. 終盤では忠兵衛の政変時の過去が判明、藩主との合意の下で忠兵衛を失脚させる。
4. 果し状が届いた日からは、市之丞の「陰扶持」は誰から・・の究明が中心である。
5. 市之丞の登場は全くといっていいほど無い。これぞ「陰」の意味か。

 以上が「陰の図面」の章のと「果し合い」までの、ダイジェスト版から得たたーさんの纏め・感想である。
ここから浮かび上がる陰の図面とは・・・どうもわからない。長すぎるのである。友人の考えも参考にさせて頂いた結果、考えられることは五つあると勝手に想像した。

T.  藩主家とその血筋(小谷、原口)が描いた図面で、又左衛門を執政に昇格させ、横暴となっている忠兵衛を失脚させるという構図。この場合は又左衛門の出世も、結局藩主が描いた筋書きに過ぎなかったことになる。忠兵衛が吐き捨てた「はめられた」が、藩主筋に向かっての言葉であればなお更に思う。
U. Tの続として、藩主筋は新執政を内々準備し、忠兵衛同様、もはや不要になった又左衛門をも抹殺するため、内密の上意討ちを市之丞に出す、という筋書きの図面。
市之丞は上意打ちの形を取らず、私憤の形で死を覚悟の果たし状を届ける。
V. 政変で忠兵衛が一気に筆頭家老に上り詰めるため、小黒勝三郎以下をわざと屋敷から逃亡させるように仕組んだ策略で、隼太はその陰謀の手伝いをさせられたに過ぎなかった・・・と言う杉山忠兵衛が描いた図面。
W. 杉山派閥を完成させ、自分の政策を実行しようとする忠兵衛にとって、又左衛門の異例の出世と存在が弊害となるため、又左衛門追い落としを企んだ、忠兵衛の裏工作。
X. 牧原の護衛・小黒派の殺害以降、忠兵衛の「陰扶持」を受けていたと推測される市之丞。最後は果し合い迄指令し、市之丞を徹底的に陰の走狗として利用した忠兵衛の長期的な陰の戦略。

しかしUのケースはまずありえないと思える。それは市之丞に出ていたとされる「陰扶持」を検討した結果である。彼への陰扶持は、当初忠兵衛が他人事のように言い始めるが、作品を精査すると、ほぼ間違いなく忠兵衛から出ていたものと、確信できるからである。少なくとも又左衛門はそのように結論を出している。

更に一歩進めて果し状の真意を考えると、根拠は希薄であるが、市之丞は忠兵衛から陰扶持はもらっていた可能性が高いが、案外忠兵衛と又左衛門を公平に見ていたのではないか。したがってXのケースであったとしても、果し状は市之丞の個人的な意思から出たものではないか。一蔵の事件後、彼の人生は全く想像していないものになってしまった。

頂点を極めた又左衛門に「市之丞を斬る事によって、自分が味わった苦い水を飲ませたかった」のかも知れない。或いは死病に取り付かれた彼は、病死するより誰かに斬られて死にたかったのかも知れない。同時に市之丞はそれほどの悪人ではないような気もする。果し状の真意は一体何か。

話がそれたが、いずれにしても著者が描いた「陰の図面」の実態はたーさんにはよく判らない。案外図面は一つではなく、いくつもあったと考えたりもしている。そもそも藤沢周平には、その結末を明らかにしない作品が多少存在する。「蝉しぐれ」然りである。本作品は「果し状の真意」を含め、深読みをすればするほど、多くの謎めいた事柄が存在する。著者藤沢は、行間から感じた読者自身の判断にこれらを委ねたのかも知れない。朝日ビジュアル「藤沢周平の世界」9巻で作家の「あさのあつこ」氏は『・・万人が口をそろえておもしろいと称賛する物語ではなく、百人が百人の千人が千人の想いを掻きたてられ、一人一人の珠となる作品だ・・』と書いておられます。まさに至言です。本作品は読者一人ひとりが、思い思いの読後感から、それぞれの図面を思い浮かべるように書かれた作品ではないか、と解釈するに到りました。

時が経ち、たーさんの独断で考察した解釈を書きたくなりました。

  陰の図面の解釈 

余談1

又左衛門が鉛銀の不正使用を発表することによって、忠兵衛は完全に失脚するのであるが、どうして又左衛門が、不正使用の情報を持っていたかは原作に書かれていない。突然金蔵を訪問し、二個しか残っていないことを確認する。行間から読み取る読者もおられるとは思うが、たーさんには些か不自然に思える。一体いつ誰からその情報を得ていたのであろうか。
色々探してみて、やっとそれらしき文章があった。その文章とは『暗闘・・一』(果し状を受け取って三日目羽太屋の主を訪ね借金の肩代わりを相談する場面で)この話を知っているのは、藩主と元締めの神尾杢内だけと書かれている。よってかなり以前、少なくとも大会議の前に、又左衛門はこの二人と会っていたことが想像され、そこで情報を得ていたと推測できる。

余談2

「太蔵が原」になぜか分からないが奇妙な違和感を持っていた。たしか週刊朝日連載では、別の名前ではなかったか・・と。その疑問が判明した。朝日新聞社の週刊ビジュアル誌「藤沢周平の世界」30冊の9巻に、連載時の挿絵が掲載されている。これを見ると「大台が原」となっている。納得である。何故変更したのかは判らないが、紀伊半島に同一の地名があるので、誤解をおそれたのかも知れない。但し根拠はありません。m(__)m

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