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続、『赤い夕日の不思議

 一般に投稿の原稿は選外の場合破棄されるそうですが、オール讀物への投稿原稿も既に散逸しているということで、調査しても内容は判明しませんでした。

 藤沢さんのエッセー等から、『溟い海(オール讀物新人賞受賞作品)以降に初めて小説というものに対する考えが固まった』というくだりがありますので、それ以前の投稿作品に関しては言及することは失礼になるのかもしれません。

 しかし『赤い夕日の不思議』で書きましたが、結論として同一タイトルの作品が3作品存在することは間違いありません。なぜこのタイトルに拘られたのか。勝手に推測してみました。

 まず専門家はこのような場合、どのようなご意見をお持ちなのか。伺ってみました。
私の飲み友達で、南原幹雄作品や最近では浅田次郎、池波正太郎作品等の解説など著名な文芸評論家『菊池 仁氏』のご意見等から、一般論(たーさんの勝手な解釈)として次のようなことが言えそうです。(藤沢周平に当てはまるか否かは別であるが・・)

  @  作家は往々にして、幼児期や少年期の『或る思い』、すなわちモチーフを大切にすることが多い。
  A モチーフを大事にしていれば、時代物、現代物、枚数等に関係なく書ける、作家というのはそういうものだ。
  B 作家は生涯、処女作品と対峙して成熟してゆくことがある。
  C 本格デビュー前の作品は往々にしてタイトルを替えたり、その逆に内容を変更したりすることもある。
  D 大切なモチーフは、多くの作品に、形を替えて都度現れることがある。
  E 3作は、それぞれ独立した作品であろうが、同じモチーフ(夕日の情景表現)が使われているのではないか。

 そこで専門家のお話をヒントにして、藤沢さんのエッセー『周平独言(81年)』、『小説の周辺(86年)』、『半生の記(92年)』、『小説の中の事実(94年)』『ふるさとへ廻る六部は(95年)』、の5作品を対象として、夕日にまつわる幼児期、少年期の思い出話を探してみました。(こういう読み方は邪道だと思いつつ・・・)

その中に以下のような文章がありました。(但し見落としがあるかもしれません)


周平独言

『母の顔』
まだ五歳のころと思うが・・中略・・遠い畑の方に行った日のことをおぼえている。・・中略・・印象が鮮明なのはその日の帰り道のことである。鍬をかついだ母が前を歩き、その後ろからついて行きながら、わあわあ泣いている。野道は家がある村はずれまでまっすぐのびていて、行く手に日が沈むところだった。見わたすかぎり野に金色の光が満ちていた。・・おかしいのは私が泣いた理由で、私は歩くたびにくたびれたのでもなく、母に叱られて泣いたのでもなかった。野を満たしている夕日の光を眺めているうちに突然に涙がこみあげてきたのである 】まさにこれだ!と思いました。
『村に来た人たち』
こういうことは私でも書いておかなければ誰も書かず、やがて消えてしまうだろうと思う 】と言う書き出しの、アイスクリーム屋のハヤナイじいさんのくだりで【 一茶の句を思い出すというのはこのときの光景のことである。切り通しの道はゆるやかな坂になっていて、左右には露出した赤土の斜面が空までせり上がっている。その谷間に沈もうとする日の光が束になって流れこんでいた。切り通しの中は真赤だった。 】美しい文章です。

半生の記


『小さな罪悪感』
小学校に入る前の自分自身の記憶は微々たる物で、遠い畑から母と一緒に野道を家に帰る途中、黄金いろの夕日を見て泣いたとか・・・エッセー集『周平独言』に書いたので省き、ここではべつの記憶・・ 】と書かれており、鮮明な記憶の印象があります。


小説の周辺 
 
『耿湋秋日』
秋日は平明な詩である・・中略・・この詩が私を惹きつけるのは、その技巧のない平明な詩の背後に、いまほとんどほろびてしまった子供のころの田園風景をみるせいかも知れない 】あまり関係なかもしれません。
『芝居と私』
ご自身の作品の芝居話の中で、『橋ものがたり』をテーマにし、『小ぬか雨』、『思い違い』については書いているが、赤い夕日に関しては何も書いて居られませんでした。他にも『橋ものがたり』に関するエッセーはかなり多く見受けられるが、赤い夕日に関するものはありません。

  
ふるさとへ廻る六部は 、小説の中の事実 には特に記述はありませんでした。

以上のような結果となりました。

 結論として、五歳のころの記憶を小説のモチーフとして大切にされていたのではないか。その拘りがあって、前作(投稿作品)のタイトルを、時代設定や内容は別としても『橋ものがたり』であらためて使われたのではないか、以上のように推測しました。常常思っていたことですが、藤沢作品には、夕暮れ時の逆光の中に映える田舎道や、海辺大工町の雑踏を表現した、美しい光景が多く書かれていることと思い合わせ、なんとなく納得しました。(全くの的外れかも知れませんが・・・)

 同時に、オール讀物新人賞受賞以前の投稿作品・習作(どのくらいあったのか想像も出来ませんが・・)と、受賞後の発表作品に、同一題名の作品や、類似した内容の作品が仮に存在したとしても、そこには藤沢さんの深い想い入れがあるのだろう、こう考えると不思議でもなんでもなくなりました。

 因みに『橋ものがたり』の中の『赤い夕日』で、タイトルに関連する情景と思われる箇所を掲載します。
一面の夕焼け空の下を、人が二人歩いている。一人は・・
この世の中でおもんの最初の記憶は、斧次郎と二人、赤い夕日を浴びて、どことも知れない土堤の上を歩いていたころからはじまっていた。それで十分でその前のことは興味がなかった
と義父と二人で田圃の中を歩いている回想シーン。

以上でこの項を終わります、と思っていたら、意外な事実が見つかりました。

更に続く

ご意見その他は  たーさん  迄