『母の顔』 |
【まだ五歳のころと思うが・・中略・・遠い畑の方に行った日のことをおぼえている。・・中略・・印象が鮮明なのはその日の帰り道のことである。鍬をかついだ母が前を歩き、その後ろからついて行きながら、わあわあ泣いている。野道は家がある村はずれまでまっすぐのびていて、行く手に日が沈むところだった。見わたすかぎり野に金色の光が満ちていた。・・おかしいのは私が泣いた理由で、私は歩くたびにくたびれたのでもなく、母に叱られて泣いたのでもなかった。野を満たしている夕日の光を眺めているうちに突然に涙がこみあげてきたのである 】まさにこれだ!と思いました。 |
『村に来た人たち』 |
【こういうことは私でも書いておかなければ誰も書かず、やがて消えてしまうだろうと思う 】と言う書き出しの、アイスクリーム屋のハヤナイじいさんのくだりで【 一茶の句を思い出すというのはこのときの光景のことである。切り通しの道はゆるやかな坂になっていて、左右には露出した赤土の斜面が空までせり上がっている。その谷間に沈もうとする日の光が束になって流れこんでいた。切り通しの中は真赤だった。 】美しい文章です。 |
『小さな罪悪感』 |
【小学校に入る前の自分自身の記憶は微々たる物で、遠い畑から母と一緒に野道を家に帰る途中、黄金いろの夕日を見て泣いたとか・・・エッセー集『周平独言』に書いたので省き、ここではべつの記憶・・ 】と書かれており、鮮明な記憶の印象があります。 |
『耿湋秋日』 |
【秋日は平明な詩である・・中略・・この詩が私を惹きつけるのは、その技巧のない平明な詩の背後に、いまほとんどほろびてしまった子供のころの田園風景をみるせいかも知れない 】あまり関係なかもしれません。 |
『芝居と私』 |
ご自身の作品の芝居話の中で、『橋ものがたり』をテーマにし、『小ぬか雨』、『思い違い』については書いているが、赤い夕日に関しては何も書いて居られませんでした。他にも『橋ものがたり』に関するエッセーはかなり多く見受けられるが、赤い夕日に関するものはありません。 |