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二作目は『赤い月であった

 『赤い夕日』第二作目(第29回オール讀物新人賞で第3次予選迄通過した作品)が、その痕跡を全く残していないことは前述しましたが、それもその筈でした。オール讀物に応募した作品は実は『赤い月』であることが判明しました。

 2006年10月12日発売(実際は9/14に販売されていた)の、平凡社発行『別冊太陽 藤沢周平』の「略年譜」を読んでいたところ「1966年(昭和41年)の欄」で、作品名が『赤い月』となっていました。私の持つささやかなネットワークを使って、調べたところ間違いの無いことが確認されました。

 1997年10月25日発行の『藤沢周平のすべて』をベースにして、いくつかの書籍を参考にしながら、このホームページを作ってまいりましたが、本当に驚きでした。と同時に三作品も同じ題名のあることに、不思議さと多少の疑問を持っていたたーさんとしては、何となくほっとしたような気持ちです。結果として1作品増えたわけですから、関連する情報を全て修正する作業をいたしました。(かなり大変でした)

 何故この様なことになったのかは全く分かりませんが、藤沢周平没後、改めて行われた年譜編集作業時の単純ミスかもしれませんね。以前から、講談社文庫の一部には藤沢周平自筆の年譜が掲載されている本がありますが、そこには1966年の記述はありませんので、オール讀物第29回の応募データなどを調査したのかも知れません。それにしてもよくぞ発見をしてくれたものと、感心をしています。
そのきっかけは何だったのか興味のあるところです。
藤沢周平の年譜が掲載された書籍は全集をはじめ、かなり存在すると思われますから、重版時に順次更新されて行くことでしょう。

 どんな作品なのか興味のあるところですが、新人賞受賞以前の予選通過作品(4作品)はその内容が私には分かりませんので、どうしようも無いところですが、敢えて『赤い月』をキーワードに推測してみますと『割れた月』(又蔵の火)の最後の行に「赤い月」の表現があります。邪推ですがもし直木賞受賞後、リメイクして書いてくれたとすれば嬉しい限りです。以前の習作などを発表することは普通のことですから。しかしこればかりは永遠の謎でしょう。以上でこの項を終わります。(2006/9記述)

ご意見その他は  たーさん  迄