『三間町の彫藤の家を出て、隣の深川元町の横町を南に突っ切ると、行徳街道にでる。道幅は五間の広い道だが人通りは少なかった。道は富川町をはずれたところで、岸和田藩の下屋敷にぶつかり、そこから奇妙な曲がり方をして小名木川の岸に出る。伊之助は小名木川にかかる新高橋を渡った。・・・片側に扇橋の町屋、片側に亥ノ堀川が流れる河岸を伊之助は背をまるめ・・・島崎町の角を十間川に沿って右に曲がる。そして次の三好町にある一軒のしもた屋の前で、伊之助はようやく立ちどまった。』
『高麗屋を出ると、平野町との間から表通りに出て、魚吉という肴屋がそこにあることを確かめた。・・・伊之助は平野町から油堀を、対岸の黒江町にわたった。そして日影町をさらに南にくだって途中から左に折れ、やがて西念寺横丁裏の仲町に踏み込んだ。』
いずれも『彫師伊之助捕物覚え 消えた女』から抜粋した文章です。江戸下町の切絵図を顕微鏡で見るような細かな描写、その地図に商家や見世物小屋を点在させ、小さな幸せを求めて懸命に生きる庶民の生活。名もなき裏だなのちょっとユーモアのある夫婦喧嘩、貧しさゆえに売られてる行く娘、やくざ者の弟を信じて身を落とす姉、そして町中をくまなく探索する岡引などなど、江戸の下町を縦横無尽に主人公が走る。これぞまさに藤沢周平の世界、藤沢ワールドでしょう。
藤沢周平といえば海坂藩がつとに有名であり、それを否定するものではありませんが、実態としては江戸市井作品を最も多く書いています。すでに年度順作品情報で書いていますが、たーさん流に整理しますと369作品の内、なんと225作品が『江戸市井作品』です。
長編作品の『海鳴り』、『喜多川歌麿女絵草紙』、『闇の傀儡師』、『消えた女・漆黒の霧の中で・ささやく河』、『闇の歯車』の7作品以外、『立花 登檻シリーズ』、『出会い茶屋』『天保悪党伝』、『本所しぐれ町物語』、『用心棒シリーズ』、『よろずや平四郎活人剣』の各作品は内容的には短編であり、結論的に言えば200以上の作品が短編作品です。文芸評論家、所謂プロの方々が、藤沢周平氏は『市井短編小説の名手』と言われていますが、あらためて再認識しました。将に江戸市井物を最も得意とする時代小説作家です。勿論、海坂藩作品も代表的な作品であることを否定するものではありませんが。
江戸深川への拘り
武家物の舞台は海坂藩、市井作品の舞台は江戸が藤沢作品の基本であることは言うまでもありません。江戸市井作品が何故『深川・現在の江東区』を中心にしているのか?。これに関して藤沢周平作品のファンの方は既にご存知でしょうが、あらためて言及すれば、これには藤沢周平氏ご自身の明確な回答があります。『ふるさとへ廻る六部は』(新潮社)の中の[私の「深川絵図」]です。文庫で30数ページにわたって書かれています。
『私の小説には市井物という分野があって、よく深川を舞台にした物語を書く。・・・中略・・小説に登場する頻度から言うと、やはり深川、現在の江東区が圧倒的に多いだろうと思う。』実はたーさんこと私はこの文章に触発され、それならば一つどうなっているのか整理してみよう、と思ったのでした。
更に氏は次のように書いています。[昔新聞社に勤めていたころや、短編作品『入墨』を書こうとして、尋ねて行った記憶はあるが、それは余り関係ないこと。それよりも氏の頭の中には深川の地図が一枚おさまっていて、いささか地理に詳しいこと。更に江戸切絵図の世界と現在をむすぶ旧跡があちこちに残っていること]、等を書かれた後で、『なぜ、小説を書くときに、ほかの場所より深川に心を惹かれるのかといった設問を中心に、それに答える形で「私の深川絵図」といったものを描き出して見たいと思う』と書いています。
詳細は『ふるさとへ廻る六部は』の中の[私の「深川絵図」]をあらためてお読みいただくとして、かいつまんで書けば、藤沢さんを深川に惹きつける風景が『掘割』であることから始まって、水路の魅力、古事記の一節、歴史的な言い伝えとその後の発展、水上バス見聞記等等、深川の果たしてきた役割や美しい風景が累々と書かれます。深川への想いや拘りをあらためて納得しました。同時に、その博識にあらためて驚いています。が、そもそも最初のきっかけは何だったのでしょうか。又、何歳のころから興味を持ったのでしょうか。その辺に関しては分かりませんでした。いつ頃が江戸切絵図との出会いだったのでしょうか。たーさんには、密かに関心を持たれた理由は、別にもあるように勝手に推測していますが、単なる憶測です。俗に言う下衆の勘繰りですので書くわけにはゆきませんが・・・。
いつごろの作品からの拘りか
いつごろの作品から深川・下町への拘りが始まったのであろうか。これも一つの興味でした。しかし見当はずれでした。最初から拘っていました。江戸市井作品を発表年度順に初期の作品を整理しますと次にようになります。
発表年度 | 作品名 | 地名 登場数 |
71 | 暝い海 | 20 |
71 | 囮 | 19 |
72 | 黒い縄 | 20 |
72 | 賽子無宿 | 26 |
73 | 割れた月 | 33 |
73 | 恐喝 | 17 |
74 | 父と呼べ | 14 |
74 | 闇の梯子 | 25 |
74 | 入墨 | 19 |
74 | 馬五郎焼身 | 15 |
74 | おふく | 20 |
74 | 唆す | 18 |
74 | 密告 | 14 |
74 | 霜の朝 | 15 |
74 | 疑惑 | 17 |
74 | 旅の誘い | 9 |
初期の市井作品は(74年迄)は全て短編作品です。短編でありながら、かなりの地名・屋号などが登場しています。オール讀物新人賞受賞が71年、直木賞を受賞されたのが73年ですから、最初から完璧に拘っていたことになります。むしろ晩年の作品のほうが多少なりとも淡白になっているようです。以上で雑感1を終わります。
江戸市井作品の雑感2 に続く