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映画『山桜』を鑑賞して

幸運に恵まれて、5月13日東京で行われた試写会で映画『山桜』を鑑賞することができた。総勢9名の豪華な出演者等の挨拶やインタビューの余韻が漂う会場で静かに上映が開始された。美しい東北の小藩(海坂藩)の春の訪れが画面一杯に広がる冒頭のシーンから、ゆったりとした時間が流れ、しかしあっという間の1時間40分でした。この作品が映画になるのであろうかと言う素人の杞憂は見事に裏切られました。藤沢ファンとしては実にいい映画だと・・・これが実感です。

原作自体が、余計なことをそぎ落としこの上なくシンプルに書かれた作品です。先ず第一に納得できたのは、このシンプルさが映画全体に貫かれていて、実に爽やかな映画になっていました。ロングショット、極端なアップ、特別なカメラワークがあるわけでもなく、まして奇をてらうような映像技術を使ってもいない素直な作品だと思いました。更に時代物作品に往往にして使われる多くの民具・装飾品・小道具等もほとんど無く、簡素にして美しい映像になっていたと思えました。

そうした味わいを保ちながら、超短編の本作品を約100分の映画にするには、当然のことながら行間を深くまっすぐに掘り下げなければなりません。最大の興味でしたが、素晴らしい解釈と広がりでした。原作では手塚弥一郎が組頭の諏訪平右衛門を刺殺する経緯は僅か文庫本で1ページ程度で、解説文のような形でさらりと書いています。

映画では手塚弥一郎が、農民や意気地の無い執政に代わって、自分の命を賭しても諏訪を刺殺しなければ・・・止むに止まれぬ心境に至る経緯が、貧しい農民の生活や諏訪の横暴を中心に克明に描かれます。これは単なる行間の膨らましではなく、額に汗して働きしかも報われない農民・名も知られていない下級武士の厳しい生活等、藤沢文学の根底を流れる作風を真正面から解釈した見事な脚本だと思いました。こう言う掘り下げかたは実に心地よいものです。

原作には最初しか登場しない手塚弥一郎が、それなりに登場しますが、木に竹を接ぐようなセリフを作らず原作から逸脱しない。終始無言、唯の一度もセリフを発しないのである。しかしその存在感は画面に溢れんばかりである。一切の説明らしき言葉も省略し、見事な立ち居振る舞いで作品を盛り立てている。更にこの作品のテーマである『回り道も無駄ではない』に関しても、野江の母親が極自然な形で諭すシーンも簡単明瞭で清清しい。
この様な観点からこの映画は、原作を大切に大切にし、藤沢作品の底流を素直に理解し、更に不要なものをそぎ落とす藤沢文学の真髄を表現した映画になっている・・・そんな感想でした。

映画に関して知識など全くありませんし、まして脚本にどの程度のことが書かれているのか想像が付きませんので演技論など書けません。ただ素人の感想として、平凡ですが皆さん上手だなぁ・・・特に姑を演じた永島瑛子さんなど最高、そして最後の8分程に登場する手塚の母親役の富司純子さん、これぞ映画だ!と思わせる見事な存在感に圧倒されました。小説とは異なる映像と言うものの凄さをあらためて認識した次第です。

どこかのCMではありませんが、『何も足さない・何も引かない・行間が醸し出す上質のまろやかな芳香が心を満たす』そんな映画でした。映像化に関しては、作品を愛するがゆえに一家言を持つ方方が多い藤沢ファン。この作品はそんな方方も合格点をくれるのではないか、そんな気がしています。藤沢作品に無関心な人人にとっては???判りません。

2008年5月16日記

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