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『閑古斎の壷』 始末記

藤沢周平作品の「小説」で単行本・文庫本共に編纂されていない不思議な作品がある。『閑古斎の壷』と『振子の城』の二作品である。『振子の城』は藤沢周平全集6巻にのみ編纂されているが、『閑古斎の壷』はどこにも編纂されておらず、たーさんとしてはその存在を今まで確認できなかった。

そもそも、本作品が存在すると推測できるのは、『講談社文庫』の中の何冊かの本にのみ、著者自筆として書かれている「年譜」にその記載があるからである。(昭和48年11月の記載)その他の出版社からの年譜・年表には一切、本作品の記録は無い。誠に不謹慎なことではあるが、その存在に些かの疑問を抱いていたのが正直な気持ちであった。一方で何としても読んでみたいと言う、唯一心残りの作品でもあったのである。ところが意外な場所でその存在を確認できたのである。以下はその顛末記である。

2007年9月、何回目かの鶴岡の旅で、湯の浜温泉の「いさ○や旅館」に宿泊した。鶴岡のホテル・旅館・その他の施設には「藤沢周平コーナー」が最近はかなり存在する。多分ここも普通の展示物が並んでいるのであろう・・と軽く考え、ロビーの一角を覗いて見た。(偉そうにすみません)
ところがそこで見たものは、私にとって驚きの展示品であった。そこには「報知新聞」「昭和48年12月2日」の切り抜きで「
閑古斎の壷」の最終回が展示されていたのである。しかも挿絵の原画と思われる一枚の絵と共にである。そばにいた旅館の方に尋ねたが、その方は詳しい経緯はわからないようなので、それはそれとして、はやる心を落ち着かせ内容を読んだ。

ガラス越しで、文字も小さいので、作品の文章を読むことは出来なかったが、比較的大きな文字で「週間読み切り小説」と書いてあった。更に本文の最後に「(おわり)」と言う文字があったので最終回であると確認した。日付・週間読み切り・最終回・・これらから逆算・判断し、昭和48年11月26日から一週間連載された作品であろうと推測した。

帰宅して数日後、早速調査を始めた。あらゆる出版物が国会図書館には保存されているであろうとは、以前から承知はしていたが、報知新聞昭和48年11月と言う程度の情報では、探す気も萎えていたのであるが、これだけの情報があれば!と思い立った。ネットを通して色々調べたり、報知新聞東京本社にもメールで問い合わせた。一定の期間まではバックNOを取り寄せることは可能であるが、30数年前の新聞の頒布は無理であることが判った。しかし、報知新聞東京本社のご担当者は親切な対応をしてくれた。横浜のニュースパーク(新聞ライブラリー)にマイクロフィルムとして保存がされている、と教えてくれたのである。(フィルムであるため、通常の記事のインデックスは期待出来ないようである)

早速友人を誘って、横浜ニュースパークを訪ね、諸手続きをしマイクロフィルムの貸与を受けて調べ始めた。マイクロフィルムによる検索は初めてである。年月単位に一巻になっているが、一か月分は膨大な量である。スピードを上げるとあっという間に通り過ぎ、目に見える程度のスピードでは中々進まない、コントロールが結構難しい。しかし推定ながら日付が判明している。11月26日を探し当て、遂に「閑古斎の壷」の一回目を見つけ出した。感慨無量である。五回目までをコピーし、12月のフィルムから六回目、最終回をコピーすることが出来た(一部40円と安い)。感謝を込めてお礼を言い退館したが、すぐには読まず、自宅に帰りそれなりの環境と心を整えてから、じっくりと読んだ。久しぶりに達成感に満たされた。

肝心の作品内容であるが、江戸市井と武家ものを合わせたような作品である。薄い壁一枚を隔てた同じ長屋に住む女と男。
女は母親と二人で暮らす小料理屋勤めの娘お新。男は
閑古斎と名のる易者、実は津田門十郎という脱藩をした浪人者。閑古斎が時に涙しながら眺めている壷をめぐって事が起きる。壷の中身を知りたくて遂、見てしまった女に生まれる嫉妬心。それとは全く異なる壷の目的、女の思い違いが生ずる物語の展開。脱藩した12名の連判状をめぐるお家騒動が絡み、武家もの作品の様相を呈してくるが、最後女の思い違いが二人を市井の幸せに導く。男と女で読後感が異なるような気がする作品。

挿絵は「三井永一」氏で、「いさ○や旅館」に展示されていた挿絵原画は第一回のものであった。かなり貴重なものであろう。それにしても、全集・文庫にもなっていないのは残念である。「振子の城」と合わせ刊行されることを期待したい。「静かな木」は比較的薄い本であるので、再編集して編纂してくれると嬉しい。出版権など色々あるので無理かも知れないが・・。

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2007年10月記   

2010年、鶴岡市立藤沢周平記念館が開館し訪問をした際、湯の浜温泉の「いさ○や旅館」に展示されていた挿絵の原画にまつわるエピソードを伺うことが出来た。藤沢周平にとってゆかりの深い、最も大切な恩人泥亀先生のご子孫の方からである。納得するすると同時に、対応された方々に一ファンとして感謝の念でいっぱいである。しかしそのエピソードをここで詳らかにする必要はないであろう。本作品に関して著者のスタンスを考えると、これ以上深く言及するすることに些か抵抗を感じるからである。

2010年8月追記   

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