幻の短編作品で解った事
藤沢周平作品データベースと銘打っているホームページでありますから、公開されたことを機に、この幻の短編(オール讀物の表現)に関して、知り得た範囲の最小限の情報を著作権に留意し掲載します。
その存在や、発見の経緯、書かれた当時の著者の環境・背景、全体の作品評などは上記『オール讀物』2006年4月号に掲載された「阿部達二氏」の解説で詳しく書かれている。簡潔にして流石と思わせる一文である。同時に藤沢氏にとって1963年はファンの方々がご承知の通り、波乱に満ちた忘れ得ぬ年であったはずである。その1963年の前後、足掛け三年に亘って書かれた作品に思いを馳せると、阿部氏の解説と合わせ、あらためて感慨深い思いに駆られる。作品は全部で14。後に更に1作品の存在が明確になり、併せて15作品である。
この幻の短編集の存在が確認されたことによって、初めてペンネーム「藤沢周平」を使った年が『1965年』ではなく『1962年』頃(又は以前)であったこと。1964年、一旦今までの趣味・楽しみそして心の支えとしての創作活動を中止、今後のあり方や気持ちの整理をし、1965年、改めて本格的な作家を志し、オール讀物新人賞への挑戦を開始されたことなどが伺える。
その結果、1965年前期オール讀物新人賞に『北斎戯曲』が第三次、1965年後期『蒿里曲』第二次予選迄通過となり、そして1971年遂に『溟い海』で新人賞を受賞、本格的な作家としてスタートされたことが明白になった。
尚、この発見に際して調査された副産物として、1966年(昭和41年)オール讀物新人賞で第三次予選迄通過したとされていた『赤い夕日』の題名は間違いであり、正しくは『赤い月』であったことが判明したようで、今後に出版される書籍の年譜は訂正されると思われる。
封印されていたその訳・・・推測
藤沢周平は自筆の年譜(講談社文庫)も含め、『藤沢周平の世界』等に掲載されている年譜で、この時代の作品に関して全く触れていない。著者のご性格を勝手に想像するに、問われもしないことを自ら進んで話すタイプでもなく、繊細な性格であることとは別に、過去に余り拘る必要性は無いと思っておられたのではないか。案外B型的思考の結果である、と推測するのは失礼かもしれないが・・。
同時に別の観点から推測するに、ここに書かれている作品の多くは、作家としてデビュー後の作品にブラッシュアップされ、著者が言わんとする作品のテーマは、ストーリーとしては異なっていても、形を変えて表現されているように思える。したがって敢えて過去に言及しなくとも読者に充分に伝わっていると思われていたのではないか。(勿論今までに無いテーマの作品もあります)
結論から言えば、触れなかった理由に特に深い意味は無いのではないか。ましてサラリーマン時代の実績を勲章の如く飾る必要など全く無いと考えていた。不遜な事ながらたーさんはそんな風に考えています。
それでも釈然としない方々に敢えて言うならば『藤沢周平と言うペンネームを以前から使っていた事実』に対し、和子夫人への深い思いやりがあって、そのまま封印したのではないか。決して忘却の彼方へ云々でないことだけは間違いないと考えます。
オール讀物2006年6月号で藤沢周平長女、遠藤展子氏が「父、藤沢周平に思うこと」と題して、公表しなかった訳を書かれています。たーさんの推測もそれほど間違っていなかったと安堵しています。それにしても早くも「菊四郎」「経四郎」「直四郎」と主役級に「四郎」が出てくる、当初から四郎が好きだったのだ。
単行本の刊行 (2006年11月追記)
2006年11月上旬、文藝春秋より『藤沢周平 未刊行初期短編』が編纂・発売された。ファン待望の単行本化である。これによって「四十年の眠りから醒めて」と題する阿部達二氏の解説を読みながら、全14作品を楽しむことが出来るわけである。阿部氏の解説は、オール讀物2006年4月号の文章を更に肉付けをしたもので、いくつかの作品をそれぞれ専門家の立場で評価・分析をした読み応えのある文章である。阿部氏にして初めて書ける流石と思わせる文章である。解説をしている作品の背景などが丹念に精査してあり、作品の理解を深める一助となることは間違いあるまい。
唯、「月給だけでは三人の生活を維持できない・・・書き損じても原稿用紙を丸めて捨てるような余裕はなかったろ・・・」に関しては、些か疑問に思っています。病歴、途中入社、というハンディはあるものの、30歳台後半で山形師範卒のサラリーマン。親子三人普通の家庭生活を営む程度の給料は頂いていたのでは?・・・。たしかに長女出産後の1963年後半は、奥様が病魔に侵され医療費の捻出にご苦心されたと思われますが、それ以前までは・・・。時は高度経済成長期のはしり、当時の自分を思い出しても標準的な生活は出来たのではないか、ふっとそんなことを思ってしまいました。
アルバイト的な考えもあったのかもしれませんが、やはり亡くなられた奥様のお考えを大切にし、その上ご自身の生きる支えとしてどうしても小説を書きたかったのではないか。そんな気がしています。m(__)m
新たな発見『浮世絵師』 (2008年3月追記)
2008年3月、新発見のニュースが新聞紙上やネットに奔った。相模女子大学教授の志村有弘氏の所有する蔵書の中の『忍者読切小説』(1964年1月号)に、著者藤沢周平で『浮世絵師』という作品が存在することが確認された。著作権継承者や出版会社と相談したのであろう、本作品がオール讀物2008年4月号に掲載された。この結果、併せて15作品が存在したことになる。早速拝読したが、本作品はオール讀物新人賞を受賞した『暝い海』の原型となるような内容で、葛飾北斎を題材にしたものであった。
解説の阿部達二氏によれば、今後も発見が無いとは言い切れないが、新発見の可能性はきわめて薄いと考えられるとのことです。その訳は前出のオール讀物に説明されていますので、省略します。作品の完成度など素人にはわかりませんが、オール讀物新人賞受賞作品『暝い海』とは北斎の苦悩が大きく異なるように感じました。したがって題材は同じでも、全く別の作品として素直に読むことが出来ました。どのように思うか人それぞれではないか・・・そんな気がしています。
文庫本の刊行 (2009年9月追記)
2009年9月上旬、文春文庫から表題作『無用の隠密』として文庫本が刊行された。15作品を一冊に編纂しているので542ページの重厚な本となった。解説は阿部達二氏であり、その内容は単行本『藤沢周平 未刊行初期短編』とほとんど同じである。(ひでこ節など一部は変更されているが)阿部氏の解説が最適であることは異存の無いところであろう。更に新たに発見された「浮世絵師」の解説が追記されている。本作品とオール読物新人賞「暝い海」との関係、藤沢と浮世絵にまつわる話など流石と思う解説である。
15作品から選ばれた表題が「無用の隠密」となっている。このことに関して素人で些かおこがましいが考察をしてみたい。表題作をどのような考えで選ぶのか・・・素人には皆目見当がつかないが、一般的な発想としては「作品として完成度の高い、或いは最も面白い作品」を選ぶのではなかろうか。個人的感想であるがそのような観点からみると「残照十五里ヶ原」「浮世絵師」「上意討」「ひでこ節」「無用の隠密」あたりの作品から選ばれるのが順当のような気がする。
一方で初期未刊行作品と言う一面を考えると「一番最初の作品」と言う考えもあるかも知れない。しかし、些か申し訳ない言い方であるが、「暗闘風の陣」は完成度と言う面で考えると若書きであろう。又デビュー後、形を替えて発表されている諸作品も、表題作として取り上げるのは些か抵抗があるように思える。よって完成度と言う面で選ぶとすれば結局、「参照十五里ヶ原」「ひでこ節」と「無用の隠密」の3作品に絞られる、これが素人の考察した浅はかな結果である。
さて、現在の藤沢の評価を考えると市井物(ひでこ節)より、やはり武家物を選びたい。個人的には15作品の中では「残照十五里ヶ原」が最高の作品だと思っている。しかし、本作品は歴史小説的な風合いで多少重い感じの作品である。一方の「無用の隠密」は武家ものではあるが、市井作品の雰囲気を併せ持つ佳作である。まさに藤沢文学の香り漂う作品である。
以上のことを考えて、出版社の選んだ「無用の隠密」が最適であると心底より納得をする次第である。(些か不遜なことを書きました・・・素人に免じてご海容ください)