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幻の短編の雑感と内容

 以下は発表された作品の概要である。著作権に留意しつつ、ある程度の内容を記述します。特に後の作品との関連性などを独断と偏見で書いています。新たに発見された『浮世絵師』に関する情報追記(背景がピンク色)。

 
作 品 名 主人公 内         容
暗闘風の陣 如月伊十郎

登場人物

江戸中期終盤、庄内平野の南端から更に奥深く、原始林の底マリアの谷に住む隠れキリシタンの一族。 穏健派の御あるじ様(女性)と、忍従生活に我慢が出来ない弟「菊四郎」の二派に分裂していた。過激派の「菊四郎」とその一味は、先祖から伝えられてきた再起の為の埋蔵金の地図を持ち出し江戸に出奔した。
それを取り戻すため追ってきた穏健派の棟梁「船津左門」とその手下。巣鴨の鴉屋敷を舞台にして繰り広げられる死闘。その間隙を縫って忍者のお信が(船津の娘)地図を取り返し、如月伊十郎の助けもあって最後は庄内まで持ち帰るが・・・。

庄内の山中、江戸箱崎松平伊豆守の下屋敷、巣鴨御薬園裏の鴉屋敷、薬研堀近くの裏店と、映画の画面のようにテンポ良く場面が切り替わるが、これがかえって難解な作品にしているように思えた。

伊十郎、参左衛門、盗人かぶりの男(船津)の三人が初めて鴉屋敷の塀で出会うシーン、ここでは船津は地図を盗んできたと錯覚する。又二度ほど命を助けられたと言う理由で、過激派に加担する桑原参左衛門の存在や、一年ほど前に裏店に住み、町人に化けている船津親娘の訳と時間的な関係、死闘に加わらずお信の手当てをする程度の脇役的な伊十郎、等など少し手が込みすぎているように思えた作品。

巣鴨の町から御薬園裏の鴉屋敷に至る町並みの文章は、のちの諸作品を彷彿させるに充分な表現である。既にこの頃にして江戸の地図に精通していたのであろう。

如月伊十郎 如月伊十郎

登場人物

公儀隠密にして北町奉行与力の如月伊十郎の第二弾。阿部氏の解説によれば姉妹編。愛宕下の井上伊右衛門の屋敷に盗人に入った新吉(実は俗称流れ星)。そこに五人組の盗賊らしき一団が現われ、手馴れた仕事ぶりで先を越されてしまう。後を付けた新吉だったが、彼等に捕まり地下に軟禁されてしまう。

彼等、実は隠れキリシタンの集団で、遠国に移住するするための費用を捻出しようと、窃盗を繰り返していた。狙われた屋敷が井上四家、北条筑後守と言うことから、江戸初期よりキリシタンに対する宗門改め役の屋敷が強奪対象と推量する。しかも北条筑後守の娘が攫われていた。老中松平伊豆守信明から指示を受けた伊十郎が、成敗と二人の救出に立ち向かう、そして・・・。

暗闘風の陣から数年後の話として、多少連続性があるようになっているが、本作品は前作に比してかなり分かり易く、素直に読むことが出来た。伊豆守の屋敷で語られる切支丹宗門改め役の活動は史実に基づいた記述で、実に良く精査された重みのある文章である。
山形のエピソードなどが入っていることから、邪推をすれば学生時代に既に関心を持っていたのかも知れない。それにしても切支丹物とは珍しいテーマではある。以降全くこのテーマが作品に使われていないのは何故かは解らないが・・・。

『流れ星』という盗人は『彫師伊之助シリーズ』に登場するが、初期の段階で既に登場しているとは何となく嬉しくなる。人物設定は全く異なるが・・。神名杏之介と伊十郎の決闘のシーン。阿部氏の解説では多少手厳しい、流石プロの眼であるが、素人の目では旧来の作家とは些か異なり、のちの片鱗が窺えるように思えた。

木地師宗吉 宗吉

登場人物

彫師、錺職人、下駄職人、筆職人、蒔絵師などいわゆる職人ものシリーズを多く手掛けている著者が、初めて挑んだと思われる職人シリーズの第一弾。
庄内藩が、新たに諸国への売出しを目論む「こけし人形」。その試作品の作製を命令された城下の六人の木地師の一人「宗吉」。最終的に選ばれたこけし作者とその店は庄内藩御用達が許されるという。豊麗な花模様のこけしを作る兄弟子の市五郎、それに比べて色彩の貧しい地味な自分の作品。自信の無い宗吉は躊躇するが、城下で初めて轆轤を回し、こけしを作った亡き父親を思い浮かべ「アオハダ」の木を使ってやってみようと決心をする。
宗吉にはヤクザに身を落とした兄と、血の繋がらない妹「お雪」がいた。突然帰ってきた厄介者の兄、「アオハダ」でせっせと作った作品が下検分でとんでもない事に・・・。一旦は奈落の底に落ちた宗吉であったが、お雪の立ち姿に一体のこけしを見いだし、そこから新しいこけしと人生が・・。

本作品は、藤沢周平の最も得意とする、いわゆる市井短編作品の第一作として位置づけられる作品である(江戸ではないが)。その骨格、文体、自然描写などなど受賞後の諸作品に比して、何等遜色のない一級の秀作であると思う。ヤクザな兄を登場させ、弟にしか理解できない兄の気持ちとやさしい心遣い、「どうだ、親父を真似るばかりが、能じゃあるめえ」と言わせる、父親の助言の如き兄の言葉の数々、見事な作品である。その上、こけしに関する専門的な知識と精細な文章、特に第三節には驚くばかりである。

お雪という名前や血の繋がらない妹という設定は、武家と町人の違いはあるものの、作品『雪明り』を彷彿させる味わいがある。又こけし職人を扱った作品『夜が軋む』を思い出す。他人には解らない兄弟愛が隠し味として見事に書かれているが、『又蔵の火』に通ずると考えるのは思い過ぎか。藤沢作品ファンの友人に「幸吉」さんがいるので、木地師幸吉だったら尚嬉しい、これは冗談です。

霧の壁 お文

宗次郎

登場人物

材木問屋山城屋の娘「お文」は同業の上総屋に嫁いだが、一月も経たないうちに婚家から戻された。お文は頑なにその訳を話さない。丁度その頃山城屋に雇われた下働きの職人「宗次郎」。「宗次郎」は若くして「お若」と、ままごとのような所帯を持ったが、その「お若」が勤め先のやさ男にたぶらかされ挙句に死亡、その男を刺し六年の牢獄生活をした前科者である。未だに「お若」の本心が解らず疑念と反省に心が揺れていた。

そんな二人が目と目を合わせた時、そこには二人だけに通ずる閃光のような想いが生まれた。兄が勧めて来る縁談に口惜しい思いをする「お文」。周りの使用人から前科者と蔑まれ、疎まれる「宗次郎」。話すことさえ出来ない二人、そんな時「宗次郎」の昔の仲間「銀助」が現われ、山城屋をゆする事態が・・・そしてその夜更けに。

藤沢周平最初の江戸市井作品である。デビュー後の作品と比して何等遜色のない作品であろう。平易な文章で読み易く、しかも変化に富んだストーリーテラーとしての才能が充分に感じられる。

終章は実に見事な展開と文章表現で、『橋ものがたり』とりわけ『小ぬか雨』の終章を思い起こす。本作品では小雨ではなく、濃い霧でその霧が少しずつ薄れ、やわらかな壁となってゆく様が見事に描かれる。藤沢作品の一つの典型である最終章から題名がつけられた佳作であろう。藤沢周平の熱烈なファンである私の友人は『黒い縄』の原型をみたと言うが・・・ 

老彫刻師の死 カエムヘシト

登場人物

エジプトのファラオ(帝王)の御用彫刻師に挙げられて三十年。老彫刻師「カエムヘシト」の苦悩を描く作品。新しい神殿を設計する新進の技術者「ヒメネス」、その設計は完璧な構想・設計であり、もはや「カエムヘシト」の時代は去っている。彼には二人の娘がある。愛妻「アギウラ」との間に出来た「タジ」と、妻「アウギラ」が弟子の「オマー」と不倫の結果生まれた「アナン」。人生の終焉を迎えて過ぎし日の妻を思い起こす。

「アナン」は自分の本当の父親の名前、死因を知るため、身体を使って姉「タジ」の恋人「ヒメネス」から真相を聞きだす。そして父「カエムヘシト」に日頃の薬の代わりに毒薬を渡すが、それは父自身が今手にしている毒薬と同じものであった。

本作品は阿部氏の解説を読むと、その背景がよくわかる。氏の言われるとおり、エジプト展で一つの石灰岩の像をみて、これだけのストーリーが生まれるとは流石である。オール讀物新人賞を受賞し、デビュー作となった『暝い海』の北斎と広重の関係は「カエムヘシト」と「ヒメネス」の師弟関係・技術的衰えなどがヒントになっているかもしれない。そして「タジ」が「お豊」として登場??。作品としても比較的やさしく解りやすい。しかし、カタカナ名前の登場人物は藤沢周平には似合わないような・・・。デビュー後外国人を主人公にした作品は一つもないと記憶している。

木曾の旅人  宇之吉
(喜之助)

登場人物

木曾福島の宿に一人の旅人(喜之助・・・実は本名宇之吉)が入ったところから話が始まる。彼は四十年前、恋人の「お佐和」の腹に子が宿っている事を承知していながら、三年待ってくれと言い江戸に出た。しかし香具師となった宇之吉にもそれなりの理由があり、いつの間にか四十年の歳月が経っていた。帰郷した宇之吉が見た久しぶりの故郷は、そして「お佐和」は、更に子供は・・・。旅籠を営む娘「お登世」夫婦には難儀な借金が・・・そして。
親娘で言葉少なに語り、再び鳥居峠を北に奈良井の宿の方に向かう最終章は藤沢周平ならではの文章であろう。『帰郷』(又蔵の火・・文春文庫)の原型となったと推測される作品。

本作品では、「お六櫛」をはじめ贄川・福島の宿に関する当時の背景が縷々描かれているが、後の作品『帰郷』ではこれらを短く簡潔にし、天保十年七月の表現も無くなり、年号を外し単に六月という設定になる。一方で主人公「宇之吉」を不治の病を持つ、より襞の多いそして暗い人物にし、全体的にアウトローの世界に生きる人間を描く。又、娘の苦労の原因やその解決方法も二つの作品では全く異なっている。それらを合わせ考えると、相対的には類似した作品のようであるが、読後感としてはかなり異なった味わいとなっている。本作品は爽やかさが心地よく残るが、『帰郷』は余りにも暗く、深い闇が漂う。

「小説を書いているなどと人に言うには、今の段階をもう一つ突き抜けたところが必要」(全集25巻書簡集)と著者は言っているが、まさに突き抜けた作品が『帰郷』なのかも知れない。ある意味で作家の進歩・変化を勉強する格好な作品ではないか。

残照十五里ヶ原 東禅寺右馬頭勝正

登場人物

天正11年(1583年)から天正16年(1588年)迄の庄内地方の覇権をめぐる興亡を描く歴史小説。肥沃な土地と長い海岸線を有する庄内は、南・上杉、北・最上、東・伊達の各氏が歴史的にも覇を競っている魅力ある土地。時の為政者は上杉景勝の傀儡、武藤義氏。家臣ながら不満を持つ前森氏永・勝正の兄弟は最上義光と密約し反旗を翻す。義氏を屠り一旦は勝利、更に義氏の弟義興の再興計略をも破り、勝正は念願の萩の方と再会するが・・・。
それから五年後、越後上杉の猛将、本庄繁長等が大挙し庄内を襲い、その猛攻の前に、野望の夢は泡と消え十五里ヶ原で遂に敗れる。その戦いの様が、庄内地方の南部を中心に詳細に書かれ、勝正の最後は実に凄惨に描がかれる。大作『密謀』によれば、後に起こった庄内の一揆や更に関ヶ原の戦のドサクサに紛れて上杉軍は北上したとある。

大作『密謀』はファンが承知しているように名門上杉家の興亡を克明に描いている作品である。すなわち越後・会津藩主側の立場で書かれている。したがって庄内への侵略も知恵と戦略による正当性を表現しているが、本作品は庄内側に立脚し、傀儡政策に不満を持つ庄内武士の無念さを根底に置き、一連の戦の必然性やあり様を納得できる形で書き進め、そして勝正の死を美しく描く。ことによると著者自身の思いも多少入っているのかも知れない。それにしても忙しいサラリーマンでありながら、これだけの歴史的事実を精査し書き上げられたことに改めて凄さを感ずる。作家デビュー後のいかなる作品にも遜色のない出来栄えであると思う。

密謀』の中では当然のことながら、庄内制圧に関する記述はあまり多くを割いていないが、それでも『網中の魚』、『歳月』の章でそれなりに重視した書き方になっており、かつて読んだとき、よくぞここ迄と感心した記憶がある。『密謀』の副読本として併読するのも楽しいと考える。

忍者失格 雪太郎

登場人物

十五世紀末、庄内地方は「砂越」氏と「武藤」氏が対立していた。物語は、「砂越」氏に雇われた草の頭領「平賀善棟」の集団が、「武藤」氏配下の「雪江作兵衛」の砦を襲い、草の根も刈り尽くすような凄惨な殺戮シーンから始まる。「平賀善棟」の集団が戦いに勝利し引き上げる時、草の一人「木兵衛」は男の赤児を拾ってくる。

この赤児、実は敵将「雪江作兵衛」の実子である。赤児の名前を「雪太郎」と名付けた「木兵衛」は、草の仲間の女房に生ませた自分の子「香苗」の二人に、厳しい忍者の修業をさせる。忍者として立派に成長した二人は兄妹弟子以上のものを通わせる仲になっているが・・・。最上川の河口に出来た東禅寺城の探索の帰り敵に襲われ、養父「木兵衛」が死に際して伝えた「雪太郎」の出生と過去の経緯。「雪太郎」は実父の仇「平賀善棟」の娘「千勢」を弄び、「香苗」からも離れて行くが・・・最後はまさにタイトル通り?。

本作品も直前に書かれた『残照十五里ヶ原』と同様『密謀』を思い起こす作品である。『密謀』の冒頭は忍者同士の戦いと、母親に死なれた二人の兄妹を連れ帰るシーンから始まり、終盤に至るまでこの二人は重要な役割を果たす。直江兼続配下の頭目「喜六」を中心とした草の集団の活動は、本作品のもう一つの縦糸として巧みに書かれている。

草の集団の住む村の風景、集団の風習や掟、「木兵衛」と「喜六」、更に彼等を取り巻く女達等は類似点が多く、「雪太郎」と「牧静四郎」、「香苗」と「まい」は、その役柄は異なるとしても人物としての背景は共通点が多い。本作品を原型として『密謀』のもう一つの面白さ『草の集団の活躍』が描かれていると想像される。歴史的な順序、すなわち、忍者失格残照十五里ヶ原密謀の順で読むと、より一層楽しめると思う。

空蝉の女 お幸

登場人物

二人の子供を亡くし夫には女が出来て、この先生きて行く何の楽しみもなくしている大工の棟梁の妻「お幸」。目鼻立ちもきりりと締まった住込みの職人「信次」。「信次」は親方の所業を知っており、「お幸」に憐れみを持っていた。
仕事を終わりにして帰ろうとしたその時、施主の娘「お美輪」が工事現場を見に来て、連れの男が思いもかけぬ行動に及んだが、その難儀を助ける。
怪我をして帰宅した「信次」に甲斐甲斐しく介抱する「お幸」。親子ほど歳の違う二人であるが・・・。難儀を助けられ、それが縁で工事現場に何度も足を運ぶ「お美輪」、「信次」に恨みを持つ連れの男「伊三郎」、これらが絡み合い話は進む。そして遂に・・・。

本作品のタイトルも最終章から付けられていると思われる。藤沢作品にときたまあるが、江戸の町並みが殆んど描かれていない作品。話の性格からそれも当然ではあるが。男の立場で読むと何故か『暗い渦』、女の立場では『おばさん』が思い浮かぶ。勿論ストーリーは全く異なるが・・・。どんな立場で読むかによって、感慨の違う作品である。タイトルから言っても「お幸」が主人公ではあるが・・・。

佐賀屋喜七 喜七

登場人物

病床の佐賀屋郷右衛門から、妾お勢との別れ話をつけてくるよう依頼された喜七とお品。お品は郷右衛門の姪で、子が出来ないため嫁ぎ先から返された出戻り女。喜七は佐賀屋で奉公、そして暖簾を分けてもらい八百屋を営む。お品と喜七の二人は足かけ12年、同じ釜の飯を食った言わば幼馴染の仲。
喜七が娶った女房お園は遊び好きで、所詮水と油。二人の間の谷間は埋めようもなく深い。それでも喜七はお園を愛していた。お品と二人で出かける前の日の晩、お園は遊び呆けて酒気を匂わせて帰宅、嫉妬に狂う喜七。

滝ノ川村で妾のお勢と話をつけた帰り道雑木林の中で、二人は昔を思い出して・・・喜七の胸を深い感慨が押し包んでゆき・・お品は言った「また、会ってくれる?」。喜七の女房お園は泥沼に落ちたようにあがき、そして惨劇が起きる。その遠因は一体何なのか。

女房のお園は生来の派手で遊び好きな性質なのに、著者は喜七に「非は自分にある」と言わせる。藤沢周平らしき優しさなのかもしれない。
多くの江戸市井作品を執筆している藤沢周平であるが、初期の作品は『』『黒い縄』『
賽子無宿』『割れた月』『恐喝』等渡世人を主人公にしたものが殆んどで、いわゆる普通の市井人が主人公の作品は1974年発表の『父と呼べ』『入墨』『闇の梯子』あたりからである。

そういう意味で、この時点(1963年)で既に本作品の如き普通の市井人を主人公にした作品を書いていたことに多少の驚きを感じると同時に、やはり・・と納得も出来る。本短編集の一つ『霧の壁』と共に、まさに江戸市井作品の源流となった作品ではあるまいか。その後の作品に類似した性格を持つ人物が多数現れるが、しかしストーリー的には類似性のある作品は全く存在しない作品である。

「明日も天気がいいらしいな」喜七が店の戸を閉めながら独り言を言う。これは藤沢の父上の口癖であったとか。(遠藤展子氏のエッセー)この頃から既にこのモチーフが出てくるのも何となくニヤリとする。

浮世絵師 葛飾北斎

登場人物

富嶽三十六景を完成させた歳が64歳。更に齢を重ね老境の北斎が秋の夕暮れ大川を眺めているシーンから物語りは始まる。彼の頭の中を占拠しているものは、広重と言う青二才の絵師である。滅多に褒めたことのない嵩山房の主人が広重を褒めたのだ。この苦悩と不安を一本の縦糸に、北斎のもう一つの後悔と不安、すなわち一夜の狂喜の後、突如消えてしまった長男富之助の妻お千絵の行方に気を揉む心境を別の縦糸として物語が進む。
広重の絵がどういうものか知りたい北斎。弟子から情報を探り、遂に初めて見たときの『蒲原』に圧倒される北斎。お千絵の居場所を見つけたものの近づけない北斎。年老いた北斎の苦悩が諄々と語られる。意を決してお千絵に会ったその結果は意外なものであった。そして長い孤独な戦いが終わったのだが、北斎自身はそれに気づいていなかった。

オール讀物新人賞受賞作品『暝い海』とは言わんとするテーマ、すなわち北斎の苦悩の質が異なるのではないか、そんな気がした。
『暝い海』では最後に金で雇ったならず者に広重を襲わせる直前まで行き、憎しみを露わにするが、本作品では淡々と『今日は絵でも負けた・・広重という男だ』と言わせる。更に富之助の女房に対する扱い方が全く正反対で『暝い海』では、頼ってきた女房を追い返し、以降ほとんど話題にしないが、本作品では北斎の苦悩の重要な人物として扱っている。この辺りはかなりの相違がある。

その代わり『暝い海』では渓斎栄泉や谷文兆などを登場させ画壇におけるそれぞれの立場や情況を展開し、作品全体に広がりを持たせる。その結果最後まで広重と言う青二才に対する憎悪と畏れに心を揺らしながら、明けることのない暝い海であることを感じつつ筆を握りなおす。二つの作品は似て非なるもののように思える。素人としては、やはり新人賞受賞作品の方が、深みを感ずるが・・・。

待っている 徳次

登場人物

島帰りの元錺職の徳次、霊岸島に着いたが迎えは誰も居ない。期待はしていなかったが「お勢」の顔が見たい!と言う想いも消えた。ふっと名前を呼ばれて立ちどまるとそこに一人の女が・・・。定斎売り「嘉平」の娘「お美津」だった。遠島と決まったとき未だ十二か十三の子供だったが、歳月が大人にしていた。行くところの無い「徳次」に向かって「家にきてもいいのよ」と言う「お美津」。

思いもしなかった新しい生活が始まるが、「嘉平」が中風で倒れ生活が苦しくなるなかで、ある明け方「お美津」が忍んできて・・・。「心細かった、徳さんが可哀相、苦労させているのになんにも上げるものがない」そんなことを言う「お美津」の眼は眩しかった。借金をして青物を仕入れ、しかし生活はどんどん苦しくなり・・・。

単行本『又蔵の火』の「割れた月」と殆んど同じ内容の作品である。話し言葉そのものが全く同じ文章が多数ある。著者はこのモチーフを大切にしていたのであろう。受賞後作品としてリメークし発表することはよくあることである。二つの作品の評価その他は阿部氏の解説を読まれることを勧める。素人には二作品の変化などを読み取ることは難しい。唯、タイトルは後者の方がはるかに良いと思う。

上意討 金谷範兵衛

登場人物

藩主の叔父長門守の残虐と専横、大した罪でもない武士を成敗しろと言う。その役目を言い渡された男、金谷範兵衛。この男実は公儀隠密。それを承知している藩の家老松平甚三郎。この上意討を隠密(金谷)殺害の機会と捉え家老が放つ範兵衛への刺客、大泉経四郎。それを肌で感じた隠密の金谷範兵衛。結果的に範兵衛は目的を果たし、その上江戸に逃れる。家老松平甚三郎は所期の目的は果たせなかったものの、幕府老中松平伊豆守に対し、一つの姿勢を示したことで満足する。今後の心配事は唯一つ、長門、高力両派の深刻な対立であった。

物語は寛永十六年(1639年)であるが、この続編に相当する作品が、歴史小説『長門守の陰謀』となる。「長門守の陰謀」は本作品「上意討」の6年後の正保二年(1645年)から寛文六年(1666年)迄の庄内藩のお家騒動の顛末を描いているが、本作品と連続して読むことによって尚一層の味わい深い作品となるであろう、そんな思いである。

公儀隠密は薬売りや商人など町人に身をやつしている作品が多いように思うが、本作品は武士であるところが珍しい。上意討ちを題材にした作品はいくつか存在するが類似した作品は見当たらない。強いてあげれば『夜の城』を読むことも一興かもしれない。
又、藩が時の情勢で多数の藩士を召抱える時の試合や、範兵衛という名前等から、作品『ただ一撃』に反映されているように思える。同時に藤沢作品独特の二派に分かれた藩のお家騒動(用心棒シリーズ他)の原型をなす作品でもあろう。

ひでこ節  長次郎

登場人物

浜屋という湯治宿を営んでいた曽祖父。旅の人形師の手ほどきを受けたばっかりに、家業を捨て人形にとり憑かれてしまったと言う。以来曽祖父、祖父、父と三代に亘って人形師を生業としてきた家に生まれた四代目の「長次郎」。三代それぞれの作品には非凡さを見出しているが、もう一つ突き抜けた作品を模索し苦悩している。

旅芸人一座が「長次郎」出入りの湯治宿「越前屋」に宿泊したが、宿料が払えずそのかたに置いて行かれた座頭の娘「お才」。内祝いの席で『ひでこ節』を歌った時だけ巧みな節廻しと美しい喉をみせたが、自分のことを含め普段は全く話をしない孤独な女が、一人暗く切なく生きている。
この二人の男女の、出会い・結びつき・突然の別れ・そして三年後の再会という、ストーリーの巧みな変化が、鮮やかに藤沢流で描かれる。「違うとる」「唄が違うとる」と美しく澄んだ「お才」の声を聞き、長次郎が唖のようになり頬を濡らす最終章は、著者の温もりをしみじみと感ずる。

木地師(こけし職人)を扱った『木地師宗吉』に続いて、人形師(土で作る温海人形)を題材にした作品。両作品とも庄内藩・温海の職人で、作品イメージとしては類似しているような気もするが、著者が言わんとしているテーマは別である。どちらが好みかは個人差の問題であろう。いずれにしても市井職人作品の原型をなす佳作である。
お才」は、後の作品で、『おさんが呼ぶ』の「おさん」、突如姿を消す『川霧』の「おさと」と相通ずるような思いがする。

無用の隠密 狭 直四郎

登場人物

既に庄内藩に潜入している公儀隠密「板垣左平太」を探し出し、適宜処分、すなわち殺害せよ!と命令を受けた同じく公儀隠密の「狭直四郎」。直四郎には二十数年前、幾代という五、六歳の女児と飄然と消えたこの「板垣親子」に記憶があった。幕府が寛政の改革時に放った隠密も、庄内藩は執政「白井」によって安定し、連絡の途絶えた「板垣」はもはや無用とのこと。
庄内藩に入った直四郎の「板垣」探しがサスペンスタッチで展開される。有能な執政「白井」は「板垣」を公儀隠密と知り、逆に隠密として「青地貫兵衛」を付けていたが・・・既に板垣は死亡、白井も執政から退き、「青地」もまた無用の隠密のごとき存在・・・。私が幾代ですと名のった松前屋の内儀との逢瀬。物語は複雑ながらもテンポよく進む。最後に目的を果たした直四郎は「俺は違う」「俺は違う」といいながら西の方向に向かって歩き出すが・・・。
幾代を殺害できなかった直四郎は、必ずや踵を返して城下に立ち帰り、自身も『無用の隠密』になった・・・これはたーさんの勝手な想像であり期待です。

幾代との一夜は「蝉しぐれ」のラストを思い出すような上品なラブシーンで、さすが藤沢周平・・という想いが溢れます。
隠密物作品では滴る汗」「相模守は無害」「夜の城」「帰還せず」等があるが、本作品を読んだ後で『帰還せず』を読むと一層楽しくなるような、そんな気がします。こじつければ『相模守は無害』も再読したくなる。

 

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