murmur

   心の場所


2001年1月11日 

 1か月程前に講演会で外国人のを聞く機会があった。同時通訳で行なわれ、英語の苦手な私にとってはありがたく話は良くわかった。
 
 話の途中で、その講演者が「My Mind」と言って頭を指差したのがとても不思議な、いやなにか違うと感じた。その時はそれで流したのだが、帰り道そのことを再び思い出した。
 
 そういえば前にも飲み屋さん(数少ない機会)での出来事にも同じ経験をした。どんな話か忘れたが、心の言葉にたいし心臓を指差した自分を、外国人が頭を指しなおしたことを思い出した。

 「心」、私は直感的に心臓の当たりを連想する。
 しかし、他の人はどうなのだろうか?

 私の9歳になる娘に「心は何処にあると思う?」と質問をした。すると、なんと心臓の当たりを指すではないか!別に家で教えたわけではない。更に別の人に聞いて見ると、大体心臓の当たりを指すことが分かった。
 但し例外も当然ある、たーさんもそうである。流石にた-さんは、無条件に頭を指したことは言うまでもない、外人並である。

 冷静に考えてみると、頭でものを考えるのであれば、心は心臓にあるわけではなくやはり、頭にあるといえる。

 では、何故日本人(?)は心を心臓の当たりと思うのであろうか?それは、漢字の心臓がいけないのだろうか、「心(しん)」の「臓器」これが誤解を招いているのであろうか。中心を心(こころ)に置き換えてしまっているのか?

 今まで間違ったイメージを持ちつづけていたことに不思議な思いが通り過ぎる。

 しかし、昔の日本人の心(親切、思いやり)は何処へ行ったのでしょうか?
 

(無断転写を禁ずる、参考にならないと思うが・・・)