どない調べたらええんやろ?
まず、地図が必要とされる時代が政治・宗教観に左右され必要の無い時代から、中世になってからようやく現れだした。 コラム:
地図の北は何故上なの!
たーさん:
地図が大好きでよ〜く見てて、前々から不思議なんだけどなぁ〜
こば :
なに、なにが不思議なんでっしゃろ?
たーさん:
なんで、北が上なん?
こば :
確かに、地図の北は上、無理矢理「ほんまかいな!」を呼ぼう!!
心強い、検索エンジンで調べよう! えっと「地図 北 上」を検索すると
地図の歴史
/ 中世
英語の文章を左から右へ書くのと同じように、地図は北を上にすることが決まりごとのようになっています。北へ行くことを“北上”、南へ行くことを“
...
プトレマイオスの『地理書』に付された地図でも北が上になっていました。これには理由があります。(Copyright (c) 1998-2006 Yoshiyuki Satoh. /
佐藤善幸)
が検索されたで・・・
上記サイト・他のサイト内容を要約すると・・・
最初に現れたのが、TO図と呼ばれ実用的な価値のない、聖書の世界観を表わすための地図が作製された。このTO図は、初期のギリシア地図の影響を受けたようで、オケアノスの海に囲まれた円形の大地“O”の中に、地中海とナイル川とドン川(ロシア西部を南流し黒海に注ぐ)を表わす“T”が描かれ大陸が3つに分けられて表現されました。位置関係は、上半分がアジア、左下がヨーロッパ、右下がアフリカです。聖書の象徴ですから、当然エル
サレムが中心に配置され、上端である東の果てには“エデンの園”が記述されました。記されている地名は、聖書に出ている場所がいくつか書かれているだけのものでした。(左図参照)
http://www2.incl.ne.jp/~alfama/carto/rekishi2.html
上記URLには、TO図の他、マッパ・ムンディ(マップ:地図の語源)など地図の歴史が載せられております。ここららの参照です。
この時点では、聖書のエデンの園が東にあったので、東が上に書かれております。しかし初期から東が上だった訳ではないようです。「地図の歴史
/ 中世」のサイトには、下記の文がありました。
プトレマイオスの『地理書』に付された地図で北が上になっていました。これには理由があります。まず描かれていた地域が、北半球の旧大陸に限られていたので、南北に較べ東西が長かったこと。さらに地図の形状が扇形になる円錐図法を採用したため、安定感のある構図にするには、北を上にすることが左右対称を重んじるギリシアでは自然だったのです。もちろんギリシアが南半球にあったのなら南が上だったでしょう。
このサイトには、知らなかったことがもう一つありました。「オリエンテーション」というのは、方向付けや指導を意味する言葉ですが、実は“オリエント(東洋)”から来たことばで“東へ向ける”ことが“正しい方向へ導く”ことにつながると考えられていました。(へぇ〜へぇ〜100へいです。)
しかし中世の末期に作られた海図では北が上にされるようになりました、コンパスを使った航海がおこなわれるようになって、方位を合わせやすくするためだったようです。
中世末期の時代から、北が上の地図になっていったようです。
答え:コンパスを使用した結果、方位を合わせやすくするために上になった。
(多分:古い話なので確かではない・・・)
マップは、マッパ・ムンディ地図が語源であることや、オリエンテーション:東(オリエント)へ向ける→正しい方向へ導くから発生したなど、勉強になりました。調べてみると、旧約聖書には、北が上らしきことが記述されています。(ヨブ26章7節
[神]は北をむなしい所の上に張り伸ばし,地を無の上に掛けておられる。)なんと不思議な事なんでしょうか?