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TVドラマ『蝉しぐれ』考

NHK金曜時代劇『蝉しぐれ』、テレビドラマはそれほど多く見ているわけではありませんが、結論から言えばすばらしい作品であった、と言えるのではないでしょうか。映像や演劇に詳しいわけではありませんが、単純に7回見てそのように思いました。(私などがどのように思おうと意味は無いのですが・・)NHKの掲示板でも、概ね好評のようです。

藤沢周平作品の映像化は、皆さんがよく言われるように非常に難しいといいます。用心棒シリーズ、よろずや平四郎活人剣、本所しぐれ町物語、そして三屋清左衛門残日録のように短編集であればまだしも、長編小説を僅か4時間40分(280分)(正味40分X7回)で表現するのは至難のことであったろうと思います。ましてテレビドラマの性格上、毎回盛り上がりを作り、次回に期待を持たせるような作り方が必要なのでしょうから。更に藤沢文学の真髄を表現するためには、ナレーションもやむをえないと考えます。同時に草笛光子さんのナレーションはすばらしかったと思います。

この作品の成功は、まず第一に原作の良さが根底にあるのは当然ですが、普請組組屋敷、石栗道場、欅御殿等の重厚な作り、引越し先のあばら家等、小説で想像していたイメージ以上の手の込んだつくりだと感心しました。江戸時代という制約からくる照明の限界、そこに使われた絵蝋燭、家禄を戻されたときの祝い善のつつましさ、数回登場した殺陣の繊細にして迫力の在る作り方、俳優陣の演技力の確かさ、挿入歌(人によって賛否があるようですが・・・)その他すばらしい点を枚挙すればきりがありません。いい作品だとつくづく思います。いくつかのシーンや、比較的重要な登場人物がかなり割愛されていますが、時間的制約を考えれば、大筋においてやむをえないと思われます。最終回のラブシーンの関しては、原作自体も含め賛否両論があるようですが、原作にあることですからこれを良しとして・・・

藤沢さんも『小説の周辺』の中の『映像と原作』(文春文庫167〜169ページ)で、『略・・映像は原作を再現するメディアとしてあるわけではない。原作に触発されて、そこからまったく別の世界を構築してみせる、映像自身のために存在するものである。・・略』と書かれています。したがって藤沢さんのみならず一般論としても、小説は小説、TVドラマは小説を原案・題材にした別物と割り切って、気持ちを制することが必要なのでしょう。

そういう意味でこの作品を振り返ると、『淡い恋心を胸の奥底に秘めた一人の若い下級武士が、どん底の環境にありながら正義感をたぎらせ、時の悪執政に対し、多くの苦難を乗越え、大事を成し遂げる』というような作りであると思えます。そのようにみると再三繰り返しますが、『すばらしい作品』でした。

しかしながら藤沢周平作品ファンのたーさんとしては、心の奥底で単純に割り切れないのもがあるのも事実です。残念ながら原作が、頭の中に住み着いていて、どうしても切り離して観ることが出来ませんでした。(努力はしたのですが・・・)
この小説の底流にある大きなテーマは、少年から青年へそして家督を受継いだ宮仕えの武士へと変化してゆく過程の、一人の人間の『
心の成長過程』を描ている。
そして
人生を左右する一大事件(父親の横死)が前髪の取れない元服前の少年に起こったことが重要なポイントだと考えています。映像の筋は原作とかなり異なっていたとしても、この一点は無視することは出来ません。(私だけかもしれませんが・・・)

『蝉しぐれ』は大まかに区分すると以下の三部から成っていると考えています。

すなわち、微禄ではあったが、武家の長男(養子)として普通に成長し、剣の道に励んできた、未だ前髪も落とさない少年の牧文四郎。この少年に降りかかった父親の切腹という事件。元服前の少年が判断してゆくには『あまりにも荷の重過ぎる状態』に突き落とされ、あえぎながらも母や友人の知恵をえて、乗り切ってゆく姿『落葉の音』迄が第一部。

家老屋敷』の冒頭で、罪人の子であるがため元服も出来なかった牧文四郎が、ほとぼりも冷め一年後の秋、亡き父の約束のお蔭で元服、翌年の春何故か元の家禄に戻り、その後秘剣村雨の伝授、父親横死の真相、矢田の未亡人の自害等を経て、『行く水』の冒頭で藩の仕事に出立し、妻を娶り、僅かではあるが穏やかな日々が過ぎてゆく中で、それなりの分別を持った青年に成長してゆく。与之助その他からの話により『ふく』への想いもすっぱりと捨てる。(保護者めいた気持ちは残るが・・)ここ迄が第二部と考えます。

誘う男』で、十町歩の田圃を救う努力をした父の気持ちを初めて理解し、大人の武士に心身ともに成長した姿を描き、以降迷わず自分の信じた道を突き進む姿が、『』以降、ふくの救出を中心にドラマティックな展開とともに描かれる。終章を含むシーン迄が第三部。たーさんは以上のような解釈をしています。(偉そうに書いてすみません)

今回の作品では、矢田作之丞との二回目の稽古のシーンから、正義感の強い、既に大人の分別をわきまえた牧文四郎であったように見えました。(私のみかも知れませんが・・・)よって、せめて以下の点だけは配慮してほしかった、と勝手に思っています。これらは時間的制約のある中でも可能だったのではないかと・・・

@ 元服をする以前は前髪の少年役のままであってほしかった。
文四郎役の内野聖陽さんの演技は完璧であり、申し上げることは全くありませんが、里村家老に呼び出される直前までは、前髪姿の少年牧文四郎の方がよかったのではないか。(俳優は別として)
そのほうが、より内野聖陽さんの魅力も増したのでは・・・
夜祭りの後、矢田作之丞との剣道の稽古シーンから突如大人に変わったのには、いささか違和感があった。
勝手なことを言えば、ふくが江戸に去り、北国に春が訪れ、残雪・蕗のとうの風景が美しく描かれるシーンの次から、内野文四郎であったら・・・
A 『蟻のごとく』の坂道のシーンはナレーションを入れてほしかった。
このシーンは『蝉しぐれ』で一番の名場面である。又、泣けるところである。
右を行くか左を行くか、迷った末に
少年としての幼い判断で、世間の目を気にし、つい近道の方を選択してしまう。
同時に『日頃気にもとめないような坂道』が、これほどの事態になるとは思わなかった。
ここは絶対に前髪の少年でなければならない。その心の葛藤を表現してほしかった。
これは演技力だけでは表現できない。少なくとも何らかの形で言葉が必要であろう。美しい日本語を再発見するほど、草笛光子さんのナレーションが素晴らしかっただけに、尚更・・・
B 里村家老から指示(罠)を受ける以前に妻帯しているべきではなかったか。
確かにTVというメディアを考えると、純愛、ラブロマンスに力を入れたくなるのだろうが、当時の下級武士の精神・立場、そして原作の持つ文四郎の立場からすれば、この局面で、あそこまでの色恋はないのではないか。
第六回の最後(婚姻話から結婚式)と最終回の冒頭(新妻との会話)はすばらしいシーンでした。
このシーンは、里村家老から罠を仕掛けられる前、すなわち第四回放送の後半にあったほうが、そして欅御殿に出立するシーンは、母ではなく妻が中心であったほうが・・・そこに立派な大人に成長した文四郎が表現できるのではないか。そして家・妻・母に対する自分の立場・責任、ふくが訴えようとしている我が身の不運と文四郎への想い、そして自身の心の奥底に秘めたふくに対する禁断の想い、それらが交錯して、代官町を走り抜ける時、危機の迫る中で・・・ほんの一瞬のめまい・・・

人の作ったものを批判するのは簡単です。そんなつもりは毛頭ないのですが、つい我が儘を書きました。NHK・スタッフの皆さん、えらそうなことを書いてごめんなさい。(誰も読んではくれませんね) 繰り返しますがすばらしい作品でした。ありがとうございました。

再放送では全て刺客(しかく)でした。当然でしょう。やまかがしのセリフはオリジナルのままでよかったのではないか。毒が云々は視聴者の意見を聞きすぎではないか。文化文政の時代に当時の人人がその知識を持っていた確証を調べた結果の投書・電話なのか疑問、現代の知識のみでの判断はむしろ危険ですらあると思います。

脚本担当の黒土氏は原作者藤沢周平に、長期間にわたって何度も何度も映像化権のお願いをし、さすがの藤沢周平氏もその執念に納得をし、許可をしたとのこと。多くの難問を解決し、遂に映像化がされることになったようです。黒土氏の執念と人間性が現われた素晴らしい作品になることと思います。完成、公開が待たれます。(蟻のごとくは子供であってほしいなぁ)

      

ご意見その他は  たーさん  迄