小説 長塚 節 白き瓶(6) (5)に戻る

 (5)に引き続いて。

番号 メ   モ
歌人の死 左千夫の葬儀が済んだ8月、節は夏風邪を引く。一向に回復しない自分の体調であったが、師の子規の手紙を思い出し、村人たちとの融和に腐心する。不安が消えず12月東京の金沢医院で診察を受け患部を切除、しかし高熱は取れない。家庭では父も母も入院という事態になるが、大正3年3月14日上京し橋田内科医院に入院、心配なしとの判断にほっとする。しかし金策のため寺田に売った絵が贋作であるとの報が心の中に暗い影を落とす。
    村人との隔たりがあるものの自分の考えを通す節の性格は、まさに庄内のカタムチョと相通ずるものがあるのかもしれない。高熱が続き不安を持ちながらも、診察結果に気をよくするところ等は、人間誰でもそうなのかもしれない。
  入院中の節は家事雑事を忘れゆとりを取り戻す。国生ではなく東京に居るということが「黒田てる子」を身近に感じる。彼女は嫁いでいないことを知っていた。久保博士と九州行きの約束をしつつ、躊躇しながらも平福百穂からもらった毬をてる子に贈る。予想に反して返信があり節の胸は躍るが、礼状だけで満足しなければ、と思うと一抹の寂しさは消えなかった。
    心の奥底にしまっていた黒田てる子への想いが、病床にあることによってよみがえる。いよいよ黒田てる子の再登場である。斉藤茂吉を訪ね赤木赤彦、中村憲吉と四人でそば屋での節の会話はなんとも言いようのない切なさである。著者にも感慨があったのではないか、ふっとそんな気がする。
  大正3年5月3日予想に反して黒田てる子が見舞いに現われる。病気のことや、近く九州に治療に行くことなどを隠さず話す。誤解も解けて幸福感につつまれた節であった。しかし一点のシミもないてる子とまぎれもない病人の自分に「釣り合う縁ではない」と思ったのも事実である。
  再再度てる子の訪問をうけ、彼女の純粋な気持ちを嬉しく思い、今後のあり方に悩む節。しかし兄の黒田昌恵からの手紙で一縷の望みを粉々に打ち砕かれる。意を決して別れの手紙を出すがてる子は「いつまでも待つ」と言う。相談していた赤彦も積極的な行動を促すが、節と兄の間で決着はついていたのであった。その思いが後に「鍼の如く」其の二の冒頭にならぶ作品となる。5月29日節は退院する。てる子も目にするであろう「アララギ」に掲載される自分の歌に、わずかな望みと未練を持つ節であった。
    上記二つの文節は長塚節の千千に乱れる心情が余すところなく描写される。短かった節の人生でこのような時を持てたことを知って何故か嬉しい思いになるのである。同時にこの経験が傑作「鍼の如く」の中核をなす作品として完成したことを思えば、著者藤沢周平はどのような考えをもたれていたのか。短歌の理解を含め、藤沢周平にして初めて書ける文章ではないか。
  大正3年6月10日節は博多に到着、久保博士の夫人と「画賛」に関して打ち解けた話をする。4月5日久保博士が上京した日の夜ふっと気が向いて歌が出来た。その一首が引金になって「白埴の・・」が完成したという思いを語る。11日博士の診断を受け、更に武谷教授の診察の結果、右側肺結核に病名が変更される。
    「鍼の如く」其の一の冒頭を飾る「白埴の瓶こそよけれ・・」の作られた背景が書かれ、子規の相弟子の久保より江との会話は素晴らしい。この歌が出来たときの節の心中、すなわち長い間心に中で歌の形をとるのを待っていて、ようやく心の深部から出て来て日の目を見たような・・とある。本作品のタイトルの所以を垣間見ると同時に、或る意味において最も重要な文節のひとつであろう。
  6月20日雨中に九大医学部付属病院に入院。微熱が続く中、蚊と蚤に悩まされながら、宮崎青島での転地療養が頭に浮かぶ。そんな中「鍼の如く」其の一、其の二の出来栄えに満足し、黒田てる子も読んでくれたであろうと思い、其の三の整理をはじめる。暑さの中35首の作品のほかいくつかの書き物をした節はぷっつりと歌が出来なくなる。
  その後の節の状況が幾つかの書簡の形で語られる。横瀬夜雨、三浦義晃、斉藤隆三、平福百穂、両親、安塚千春などである。退院に際しての診断の総括は経過良好とあり、現代の結核に対する認識との大きな相違を著者は語る。結論的に言えば節の病気は元凶の結核が手付かずのまま内部の深いところで進行していたのであった。7月20日過ぎから再び歌が出来始め「鍼の如く」其の四として纏まる。微熱が続く中8月14日退院、複雑な思いが交錯しつつ青島行きの準備をする。
    ここで藤沢周平は実に詳細に書簡往来の形で、微熱の続く中での黒田てる子のことや身体のことなどを克明に書き上げている。大変な労力である。同時に本作品で時時書かれる形式ではあるが、小説でありながらここでも結核に関する藤沢自身の見解を述べている。また著者の見解として「鍼の如く」其の四には「むりやり歌にした作品も散見出来る」と言い切る。

歌人の死2に続く


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