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本所『しぐれ町』物語あれこれ

 海坂藩は武家物作品の架空の藩として、藤沢周平ファンの方々にはお馴染みですが、江戸市井作品では殆んどの作品が文化・文政や少し下って嘉永・安政など江戸時代後期の頃を中心にした実在の町が舞台となっています。大名屋敷、幕府の施設、川や橋などその緻密さはファンの皆さんご存知の通りです。

 そんな中で、唯一つ藤沢周平が作った架空の町が『本所しぐれ町』です。このしぐれ町が江戸のどの辺にあることを想定しているのか・・・、対談『藤沢文学の原風景』(文庫巻末に掲載)によりますと、竪川の南岸にあった『林町・徳右衛門町』辺りを想定していた、とあります。
竪川の南岸に沿って、西から林町が一丁目〜五丁目と細長く延び、更に東に向かって徳右衛門町が一丁目〜三丁目が展開しています。この辺りの竪川には二つ目橋、三つ目橋の二本の橋が架かっていますので、推定するにこの二つの橋の中間辺りであろうと思われます。

 したがって現在の地名で言えば、東京駅方面から両国橋を渡って墨田区に入り、墨田区立川1〜3丁目の辺り、地下鉄の駅で言えば都営地下鉄大江戸線・新宿線『森下駅』の東近辺であろうと思われます。因みに人文社発行の『江戸切絵図にひろがる藤沢周平の世界』・『めぐりシリーズ・藤沢周平・小説の舞台』にも書かれています。
何故この辺りを想定されたのかは全くわかりませんが、本所・深川といえば藤沢江戸市井作品の中心的な町ですから、当然といえば当然です。但し町の名前を決めるに際してはかなりてこずったようです。(上記対談より)

 この作品は12の短編から成っており、全体としては『大家の清兵衛』さんが舞台回しの主役のように思えますが、どれほどの主役も存在せず『しぐれ町』の中で起こるいくつかの事件?を書いています。それでもここに住む人人が織り成す人生模様やさまざまな話から、実在の町や職業などがかなり多く登場しますまさに江戸市井作品の典型的な縮図といえるかも知れません。江戸切絵図では竪川に架かる橋は、一ツ目橋、二ツ目橋ですが、架空の町という意味でしょうか作者は一の橋、二の橋という使い方をしています。又ファンの方が『しぐれ町』の地図を何種類か作っていて、藤沢関連本にも掲載されています。NHKでテレビドラマとして放送されましたが、ホームページにも地図が掲載されています。

 更に本作品で見逃してはならない重要な要素は、見事にちりばめられた季節感ではないかと思います。旧暦九月からはじまるこの物語は、最後は二年後の同じ秋色をもって終わりとなりますが、季節の移ろいを感じながら(意識しながら)各作品を読むとき、あらためて深い味わいが心に沁みます。

 以下に各作品の季節を整理してみました。当然のことながら旧暦での季節感ですから、現在では凡そ一ヶ月程度のズレがあることを想定しています。

作 品 名 季  節 季 節 を 感 じ る 文 章
鼬の道 外は曇りで、九月の終わりの底冷えするような白い光が土間に入ってきた。
この文章から話は秋から始まる。
春のはじめ その話を聞いたのは暮れのうちだから、あれからかれこれふた月になるわな。
これで新しい年が始まったことになる。
朧夜 初夏 月は朧月だった。そのせいか月の光も夜気もしめっぽくうるんで・・。
芒の藪や若葉をつけはじめた柳の木などがならぶ水路沿いの道を・・。
ふたたび猫 梅雨どき おもんと知り合ってからあらまし三月ほどたつが、・・
季節は梅雨に入って、一日中降ったりやんだりしていた空模様が。
日盛り 真夏 外はまだ明るいのに家の中はうす暗くてむし暑い熱気がこもっていた。
タイトル自体が真夏を感じさせる。
のぼってももう暑くない日に背をむけて、来た道をもどった。
物語が始まって凡そ一年が経ったことになる。
約束 晩秋 ここでは特に季節を感じさせる文章は無いが、『秋』の話に続くことから考えると晩秋であろう。話そのものも切ない秋ではなかろうか。
春の雲 冬〜春先 大晦日から正月三が日にかけてつづいたきびしい寒さにくらべれば薮入りの今日は春先のようなあたたかさであった。
その職人が来たのは二月のはじめである。 そして梅はそろそろ終わりで・・で話が終わる。
みたび猫 陽春 あちこちから花のたよりが聞こえて来るというのに、花冷えというのか、今日は朝からくもり空でうすら寒い。
乳房 この暗さは時刻のせいではなく曇り空のためだろうとおさよは思った。
あたしこの秋には嫁に行くの。
おしまいの猫 晩夏 空にびっくりするほど明るい月が出ていた。外に出て涼んでいたひとたちも家の中に入ったとみえ・・。
その月明かりに、早くも秋の気配が・・。
秋色しぐれ町 時どき善六の影が表の障子に・・夏とはちがい、長い影である。
タイトルも秋色であり、凡そ二年間のお話が終わる。

とりあえずここ迄。

ご意見その他は  たーさん  迄